高見さんが特に忘れられない9足
「この3足はすべて、私がナイキジャパンに入社した年に発売されたモデルです。履き込んでダメになってしてしまったら、必ず新調するようにしています。
ちなみに以前は『エア マックス 91』というような呼び方はオフィシャルでアナウンスしていなくて、社内でも『何年に出たエア マックス』と言っていました」。
同僚や友人からスニーカーをプレゼントされる機会も多いそうで、こちらの「エア ジョーダン 4」もそれに当てはまる。
「こちらは、サンフランシスコのリーバイス本社にいる元同僚が、『高見さんの棚に置いてもらわないと困る!』と言って、わざわざ送ってくれたものなんです。スニーカーは十分持っているし、棚は埋まっている状態でしたが、彼の気持ちを汲み取ってディスプレイを組み替えました(笑)」。
市販されなかった貴重なモデルもいくつか紹介してくれた。
「さまざまなショップの立ち上げやイベントに携わってきたので、私のコレクションには関係者向けに配られた非売品もあります。ヴィンテージスニーカーのコレクターでもある芥川貴之志さんの書籍『ブルーリボンズ』の発刊を記念して彼がデザインした『ブレーザー』もそう。
2007年、『エア フォース 1』25周年記念に1年間限定でHECTICと共同で裏原宿に開設したコンセプトショップ『1LOVE(ワンラブ)』の1周年記念イベントのために作られたモデルも該当しますね」。
最後に登場するのは「エア リバデルチ」。この2足にはひと際特別なエピソードが。
「私が営業を担当していたSOPH.の企画で『エア リバデルチ』を復刻する話が出て、最初にオリジナルカラーを出そうということになったのです。でも、調べたら木型がすでに現存していないことが判明。
そこで、私が昔、ホノルルで購入していたリバデルチをポートランドの本社に送って、解体することで製品化できたんです。
スニーカーがバラバラになってしまったので私のサイズを作ってほしいと頼み込んだところ、この2足だけレディスのサイズが生産されることになって。今となってはいい思い出ですね」。
数百足もあるコレクションだが高見さんのなかで優劣は存在しない。どれもが思い入れ深い大切な存在なのだ。そして最後に、こう話してくれた。
「いろいろな角度からスニーカーを楽しめるいい時代ですし、情報と向き合いながら、自分が本当に好きだと思える1足を買い続けるのが、スニーカーと長く付き合っていける秘訣だと思ってます」。
スニーカーブーム黎明期を走り続けた高見さんの言葉には重みがある。
鳥居健次郎=写真 戸叶庸之=編集・文