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知り合い繋がって、他人事ではなくなった

そして、地元での政治活動を通じて、ようやく高橋さんは農業という仕事について知ることになる。

「農家の人たちに話を聞いたり、作業を体験させてもらったりして『すげーな!』と思いました。思い通りにならない自然に働きかけて食べ物を作るという仕事の奥深さを知ったんです。なのに、農家の人は食えないっていう。私たちの命を支える食べ物を作ってくれている人が報われないって、おかしいじゃないですか。理不尽だと思ったんですよ」

高橋さんは子供の頃から、「理不尽なこと」へ抵抗する気持ちが強かったという。それは、8つ年上の姉がいたからだ。障がいを抱えていた彼女に対する周囲の目線に子供の頃から憤りを感じていた。

「姉はたまたま先天的な障がいを持って生まれてきただけで、何も悪いことしてないのに、どうしてこんな目で見られなきゃいけないんだ!って子供の頃から思っていました。

理不尽なことが許せない気持ちが原点にあるんです。だから、食を支えるという命の一丁目一番地の仕事をしている人が理不尽な目にあっているという状況を、なんとかしたい、と思ったんです」。
(c)ポケットマルシェ
(c)ポケットマルシェ
そんな折に起きたのが、東日本大震災だった。岩手県内の大きな被災地は漁村で、被災者の多くは漁師だった。高橋さんはボランティアとして沿岸部の被災地に入り、漁師たちと接する中で、一次産業への思いをさらに強くした。

「農業と同じで、漁業の現場でも震災前から人口減や高齢化といった問題を抱えていて、そこに震災でとどめを刺されたということをたくさんの漁師から直接、聞きました。

ニュースで聞くことって、知識でしかないんですよ。農業や漁業が大変だって新聞で読んでも、顔が見えなければ共感できない。僕は議員時代に岩手県内に農家の友人知人がたくさんできて、そして被災地で漁師に出会った。知り合いである彼らの抱えている問題は、僕にとってもう他人事じゃなくなっていたんです」。


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