東京の大学を出て新聞記者になるはずだったけど……
高橋さんは岩手県花巻市出身。自然豊かで米作りが盛んな地域だ。
「でも僕は街中の普通の住宅街育ちなので、農業には全然触れないで育ちました。父方の祖父が農家でしたが、自分が農業に関わる仕事をするなんてまったく考えていなかった。田舎から出て東京の大学行って、会社入って……みたいな価値観で育ったわけです」。
一浪して青山学院大学へ進学し、学生時代は本人曰く「自分探しに没頭、大学2年は3回やりました」。その中で見つけたのが報道ジャーナリストへの夢だった。
「大学時代にアルバイトでテレビのニュース番組のADをやっていたのがきっかけ。書くことが好きだったので新聞記者を目指そうと思ったんですね」。
そして新聞社の入社試験にチャレンジするも時は就職氷河期。大学卒業後も就活を継続しながら大学の先輩にあたる国会議員の秘書を始めた。
「政治の世界に興味があったわけじゃないんです。面接で社会経験を聞かれるので、そのときに議員の秘書をやっているって言えるな、という不埒な動機でした(笑)」。
そうして続けた秘書&就活生活は3年以上。受けた入社試験の数は100回以上。それでも、新聞記者という夢が実現する気配がない。そんな中で、大きな転機となる出会いが訪れた。
「28歳のときに、休暇の旅行で屋久島に行ったんです。2泊の予定が台風で足止めされて4泊になっちゃった。そのときに泊まっていた宿の主人が、屋久島の杉を守った人、柴 鐵生さんだったんです」。
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