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このまま東京にいてもしょうがない

柴 鐵生さんは、昭和40年代に屋久島の原生林伐採の反対運動を行い、屋久島町議となって活動を展開し屋久島の自然を守った人。当時は多くの島民が山の仕事に従事し木の伐採が島の産業を支えていたため、原生林を守るという主張は受け入れられないものだった。

「柴さんは、初めは東京で学生をやりながら署名活動などしていたそうなんですが、『東京にいる人が島のことを訴えても意味がない』と言われて、大学を中退して屋久島に戻ったんです。戻ったところでなかなか耳を傾けてもらえない。それで町議会議員を目指したんだけど、やっぱり田舎の選挙って大変なんですよね、地縁血縁だから。

そんな中で柴さんはこつこつ街頭演説で自分の考えを訴えていった。そうして議員になって、島の人を説得して、やがて国を動かして……最終的に伐採を止めた。そんな武勇伝を 4日間話してくれたわけですよ、島の焼酎の『三岳』飲みながら。僕はそれを聞いて『カッケーな』って衝撃を受けたんです」。

高橋さんが、42歳の時に立ち上げた「ポケットマルシェ」は、生産者と消費者を直接つなぐオンラインマーケットだ。

ちょうど、新聞記者になるために足を踏み入れた政治の世界に興味を持ち始めていたときだった。

「柴さんの話を聞いて、このまま東京にいてもしょうがない、俺も故郷に帰って地元のための政治やろうって、そこで決めたんですよ」。

高橋さんは10年ぶりに故郷、岩手県花巻市に帰った。

「帰った次の日から、街頭演説を始めました。誰にも相談せず。相談したら絶対止められると思ったんですよ。案の定、親には『頼むから東京に帰ってくれ』と言われました(笑)。

選挙が近いわけでもないのに、街角に朝から立って喋っている人なんて田舎にいませんよ。しかも、そこを通るのは子供の頃から知ってる人ばかり。近所の人とか、同級生とか、中高の時の先生とか……本当はもう、穴があったら入りたいって感じで」。

元々、人前に立ってしゃべるのは苦手だったという。それでも、高橋さんは休日でも氷点下の日でも毎朝立ち続けた。

「退路がないっていうか、威勢良く東京に行って夢破れて帰ってきたなんて言いたくないわけですよ。だからもうやるしかなかった」。
 
後編に続く

高橋博之(たかはしひろゆき)●1974年岩手県花巻市生まれ。青山学院大学卒業。国会議員秘書を経て、2006年岩手県県議会議員補欠選挙に無所属で立候補して当選。2期勤める。2011年に岩手県知事選挙に立候補し、次点で落選。実業家に転身し、生産者と消費者を「情報」と「コミュニケーション」でつなぐ食べもの付き情報誌、「東北食べる通信」を創刊。その後「日本食べる通信リーグ」を設立し、全国各地の「食べる通信」が誕生し、グッドデザイン賞金賞(2014年度)、日本サービス大賞(地方創生大臣賞、2016年)受賞。2016年、生産者が農水産物を出品し、消費者が直接購入できる「ポケットマルシェ」をスタート。「世なおしは、食なおし。」の旗を掲げ、全国各地を行脚している。著書に『都市と地方をかきまぜる』(光文社新書)など。東日本大震災10年を前に、岩手県沿岸を再び徒歩で巡り、47都道府県を行脚する旅「REIWA47キャラバン」開催中。https://47caravan.com
「37.5歳の人生スナップ」
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。上に戻る
川瀬佐千子=取材・文 中山文子=写真

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