勝ちたい気持ちと不安。苦しんだ4年間
しかし、入部2年目で挫折を味わう。
「学生の中ではトップレベルで戦えてきたので、実業団でもいけると思っていたんです。でも、通用しなかった。がんばっても、がんばっても、上がいる。記録も伸びずケガもして、焦る気持ちが先行してしまい、毎日の練習をこなすことで精一杯になってしまったんです」。
そんな中で榎木さんが取り戻そうとしたことは、目標を持つこと。出ると決めた試合にどうやったら勝てるか考えることに集中した。
そして、練習がうまくいかない不安を、家族や友人などの身近の人の応援を支えに乗り越えること。
「やっぱり、勝ちたいと思う気持ちと不安とは、常に背中合わせです。だから、家族や友人など、応援してくれる身近な人がいるということは、ものすごく大きな支えになるんです。あとは、やっぱり学生時代の経験があったことも大きかったかもしれません。これで終わりたくない、がんばりたい、勝ちたいと思えましたから」。
そして、2000年別府大分毎日マラソンで見事優勝を果たす。入部3年目、25歳のときだった。
しかし、その後の旭化成での4年間は苦しんだという。目指していたシドニーオリンピック日本代表には、チームメンバーの佐藤信之さん、川嶋伸次さんが選ばれた。
20代後半になって体力や気力で踏ん張りがきかなくなっていき、年々周囲の競技レベルがアップする中で、自分の実力では戦えないと実感するようになっていく。
後編に続くプロフィール
榎木和貴(えのきかずたか)●1974年宮崎県生まれ。宮崎県立小林高校卒業後、中央大学へ入学。箱根駅伝にて4年連続区間賞を獲得する。3年時には箱根駅伝総合優勝も経験。1997年、旭化成に入社し陸上部に所属。2000年2月、別府大分毎日マラソン優勝。2004年、沖電気女子陸上部ランニングコーチに就任。2007年にはトヨタ紡織陸上競技部コーチに就任。2011年、トヨタ紡織陸上競技部監督に就任。2019年2月に創価大学駅伝部監督に就任し、翌2020年の第96回箱根駅伝にてチームを初のシード権獲得に導く。
「37.5歳の人生スナップ」もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。
上に戻る 川瀬佐千子=取材・文 中山文子=写真