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走れるのは当たり前、狙うのは区間賞

そして目標となったのが箱根駅伝だった。高校時代の恩師が中央大学出身だったことに影響を受けて中央大学に進学し、駅伝部に入る。
1年生のときの大会で復路の8区に抜擢されたときは、プレッシャーよりも「憧れの舞台を走れるチャンスをもらった喜びのほうがうれしくて、純粋な気持ちで走った」という。その結果、区間賞。そして2年生でも同区間で区間賞を獲る。
「そうなってくると、箱根を走るのは当たり前で、区間賞を狙って走ろうと思いました。やっぱり勝ちたいという強い思いが自分の中にあって……。
それを言葉にしたり表に出したりはしませんが、負けず嫌いなんです。子供の頃から競技をやってきて、そういう性格が培われたのかもしれません(笑)。それに、やっぱり自分が区間賞を獲るのがチームへの最大の貢献だと思いましたから」。
その思いのとおり、3年生のときにはチームは総合優勝を手にした。4年連続区間賞を獲って卒業した榎木さんは、そのまま実業団に進み、マラソンに転向した。陸上のトップクラスが集まる旭化成だ。
「チームにはオリンピック経験者もいましたし、そういう中で自分も日本代表になりたいと自然に思いましたね。2000年のシドニーオリンピック、2004年のアテネオリンピックが目標でした」。



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