インスタポンプフューリー誕生前夜
「おれたちは飛行機のインフレーションデバイスやスキューバダイビングの浮力調整具の研究に膨大な時間を費やした」(リッチフィールド)。
「ブレークスルーは、余計なものを省くという発想を突き詰めたときに訪れた。そうしてアッパーを空気室で構成するアイデアにたどり着いたんだ」(スミス)。
ポンプとヘキサライト、そしてスプリットソールがキーデザインとなるインスタポンプフューリーのアイデアは、「すさまじく退屈なミーティング」(スミス)の最中に生まれた。ザ・ポンプの商品タグを見るともなしに見ていたスミスは、おもむろに紙にペンを走らせた。
「スミスが投げて寄越した紙の切れ端には見たこともないフットウェアが描かれていた。それは足をホールドするカップがついたサンダルのような構造だった」(リッチフィールド)。
アッパーの役割を果たす空気室、シャープなルックスを重んじた空気室のデザイン、土踏まずを大胆にくり抜いたスプリットソール。すべてのスペックがトライアル&エラーの繰り返しを強要する難易度の高いものだった。生産をお願いしていた韓国の工場がことごとく、さまざまな理由で閉鎖、そのたびに生産体制をいちから構築せざるを得ない苦労もあった。
ようやくかたちになってからも一筋縄ではいかなかった。
レッド、イエロー、ブラック──ファーストモデルがまとった目にも鮮やかなシトロンは、足が炎に包まれているようなイメージを具現したものだ。戦後アメリカのカスタムカー、ホットロッドの炎のペイントや90年代のマッスルカー、ダッジ・バイバー、そしてハードコア・パンクロックがヒントになっているという。
スミスはその出来に大いに満足したが、マーケティングが難色を示した。もっとシックな色にできないのか、と。頭にきたスミスはサンプルをグレーの下地スプレーで塗りつぶした。彼らが望んでいることがいかに馬鹿げているかを知ってもらうためだったが、マーケティングの面々はスプレーまみれの一足をみると、素晴らしい、これで売れるぞと想像とはまるで違う反応をみせた。
天を仰いだスミスはファイヤマンに直訴した。あいつらはなんにもわかっていない、と。この悲痛な訴えがあってシトロンは無事製品化にこぎつけた。
マーケティングの顔を立てるべくブルー・ベースのサックスもリリースしたが、蓋を開けてみればシトロンがサックスの2倍以上の売り上げを叩き出した。サックス・バージョンは、ボーリング(=退屈な)ブルーというありがたくないあだ名をもらうことになった。
僕がつくったスニーカーのなかで一番の自信作さ──スミスが自画自賛したインスタポンプフューリーは、あらゆる垣根を飛び越えて高く評価され、そして時代をも超えた。
ポピュラーサイエンス誌は、科学&テクノロジー分野における1994年のもっとも革新的な成果のひとつとしてインスタポンプフューリーを選出した。同年放映されたMTVビデオ、ミュージック・アワードではエアロスミスのスティーヴン・タイラーがシルクのガウンの足元にインスタポンプフューリーを履いていた。
時は下って2001年、カール・ラガーフェルドはシャネルのパリコレクションに使用した。
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