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大人になって、魅力を再発見する

2代目「チェロキー(XJ型)」が誕生したのは、ちょうどルノー傘下の頃。もともとルノーは、アメリカ市場に進出するための販売網を得るために、アメリカン・モーターズ社を買収したのだが、「ついでにヨーロッパでも売れるような4WD車を作ろうか」となったようで、アメリカン・モーターズは2代目「チェロキー」を開発した。
ルノーの意向もあり、初代と比べて全長で約500mmも短くなり、約500kgも軽量化され、当時のアメリカントラックや4WD車の主流であったラダーフレーム構造を捨て、乗用車と同じモノコック構造にフレームを組み込んだユニフレームという特殊な構造が採用された。
1984年当時は近鉄芝浦自動車整備(後の近鉄モーターズ)が主に輸入。1987年に商標権がクライスラーに移り、1989年からは出来たばかりのクライスラーの日本法人で販売された。
フランスも含め当時のヨーロッパは、ルノーなら「5(サンク)」、プジョーなら「205」といった小さな車がたくさん走っているような道路事情だ。アメリカントラックサイズでは大きすぎたのだろう。
またアメリカン・モーターズ社が開発した、2WD/4WDを走行中でも切り替えられる4WDシステムが搭載されたことで、街乗りが中心という人にも大いに喜ばれた。そして2代目「チェロキー」は日本にもやってきた。
日本への輸入が始まった1984年当時の日本は、初代三菱「パジェロ」によって“クロカン四駆”ブームが巻き起こり、バブルの萌芽が見え始めていた頃で、「チェロキー」にとって格好のマーケットになった。
それまでの日本では、「ジープ」といえば三菱がノックダウン生産していたウィリス・オーバーランド時代の、いわゆる軍用車のようなイメージのジープ。そのイメージを一新するほど、「チェロキー」は売れた。
クライスラーの日本法人ができると全国にジープ正規ディーラーが作られたが、それでも販売網は手薄。それもあって、当時クロカン四駆のラインナップがなかったという理由からホンダまでもが、1990年から1997年までチェロキーを販売していたのだ。
特に1993年に、アメリカのビッグ3(当時はクライスラーのブランド)としては初めてとなる、右ハンドル車が輸入されたのが大きかった。「郷には入れば郷に従え」ということわざがアメリカにあるかは知らないが、右ハンドルのチェロキーは多くの日本人ファンを獲得する強い武器となった。
しかも4Lエンジンを搭載しているにも関わらず最廉価グレードで299.8万円という戦略的なプライスも功を奏した。
1987年に投資額200億円以上という大がかりなマイナーチェンジを受けた
アメリカやヨーロッパでもセールスは好調で、結局2001年まで生産され、3代目(KJ型)がそのあとを継いだ。現在はフィアット傘下で、5代目に進化している。一方で約20年間で生産が終了した2代目「チェロキー」は、今なおファンが多く、専門店もあるほどだ。
ボクシーながら、ルノーの影響か荒々しさのないスラッとしたそのスタイルは、1984年のあの頃からすっかり大人になった今の我々にこそ、似合う1台かもしれない。
 
「中古以上・旧車未満な車図鑑」とは……
“今”を手軽に楽しむのが中古。“昔”を慈しむのが旧車だとしたら、これらの車はちょうどその間。好景気に沸き、グローバル化もまだ先の1980〜’90年代、自動車メーカーは今よりもそれぞれの信念に邁進していた。その頃に作られた車は、今でも立派に使えて、しかも慈しみを覚える名車が数多くあるのだ。上に戻る
籠島康弘=文


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