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2020.09.08

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そもそも「ブラック」なんて存在するのか? 接触と分裂のアメリカ音楽から考える

当記事は、「Forbes JAPAN」の提供記事です。元記事はこちらから。
アメリカ文学、アメリカ文化、ポピュラー音楽研究者。東京大学名誉教授の佐藤良明
「ブラックっていう切り出し方がもうすでに問題含みなんですよ。黒人って何?っていう」
アメリカでの近年のブラックミュージックの立ち位置について聞いたときだった。アメリカ文学、文化、ポピュラー音楽研究者であり、東京大学名誉教授の佐藤良明は冒頭のように語り始めた。たしかにそうだ。肌の色が黒い人が黒人、白い人は白人、比較的黄色い人は黄色人、ではアフリカ系と言われる先祖をもち、世代を経て白っぽい肌をもつようになった人は、何と言えば良いのだろう──。
音楽にも同じことが言える。アメリカ音楽はアメリカに生きる多種多様なバックグラウンドをもつ人々にもまれながら根付いている。黒人/白人というようにさまざまな「人種」という区分を背負った人々だ。そんな一様には語れないバックグラウンドが合わさって形成される環境において、ブラックミュージックとは何だろうか。いま一度ブラックミュージックを通してアメリカに続く分断について考えてみたい。

接触と分裂のアメリカ音楽

黒人たちによるリズム&ブルースの「黒いサウンド」が、人種の枠を超えて徐々に受け入れられるようになったのは1950年代、ロックンロール世代の出現からだ。
「バッドなものがかっこよくて消費されるようになったんですね。消費力も購買力もある若者が力をもち、時代が大きく変わっていた。若者を理解しない大人たちがフランク・シナトラみたいな音楽を聞いていたらそれとは逆の歌を歌おうみたいな。そうすると黒人が模範になるわけですよ」
加えて、反西洋近代主義を掲げる一部のボヘミアンな白人の若者たちがその最たるものとして黒人文化にのめり込むようになり、ユースの音楽は体制への抗議のスピリットを表すものとなっていった。カウンターカルチャーの誕生だ。
「キングオブ・ロックンロール」と称されるエルヴィス・プレスリーはその歌い方、身体の動き、彼のパフォーマンスのひとつひとつで黒人のように振る舞い、それまでにあった黒人と白人の音楽間の「分断」を超えてみせたと言われる。60年代に入ると公民権運動がいよいよ盛り上がり、「白黒の融合」というリベラルな動きがはっきりと国の目標として掲げられ、白人と黒人の接触は強まる。そして黒人たちのソウル・ミュージックが白人市場に広まっていく。
エルヴィス・プレスリー「Jailhouse Rock」 彼のパフォーマンスはアメリカを熱狂させた。
しかし68年にキング牧師が殺害され、公民権運動が一気に落ち込むと、黒人たちは「自分たちのポップス」への志向を強めるようになる。ジェームス・ブラウンも民族色の強いファンクな音楽に向かうようになり、黒人同士に向けて発信されていくようになるのだ。
注目したいのは、彼らの音楽は元来彼らのコミュニティ内で楽しむものとしての性格が強かったということだ。教会で歌われるゴスペルは、いつの日か解放される時の喜びを夢見て高まる感情を表現した音楽であり、酒場で歌われるブルースは希望のない日常をむき出しの言葉で表現するものだった。
しばしばブラックミュージックは黒人という差別を受け続ける人々の、抑圧された声を代弁するメロディーとして捉えられる。音楽は外の世界、すなわち白人社会へのプロテストの意を表するものである、と。しかし彼らは彼らの音楽を自分たち自身で楽しみ、鼓舞するために奏でていたのであり、外のコミュニティへ向けてプロテストしたり、悲痛を訴えるようなものではなかったのだ。


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