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2020.09.06

ライフ

新宿駅前に巨大オブジェを作った元スノーボーダー、松山智一の生き方

「37.5歳の人生スナップ」とは…… 
「パリの西駅やニューヨークのグランドセントラルのように、パブリックアートがあって、ガイドブックに載るような駅にしたかったんです」――。
7月19日、昼間でもどこか陰鬱な空気が漂っていたJR新宿東口駅前広場がリニューアルした。そのセンターにそびえ立つオブジェ『花尾』を手掛けたのが、ニューヨークで活躍するアーティスト、松山智一だ。
新宿東口の駅前広場のオブジェ『花尾』を手掛けたアーティスト、松山智一。
欧米の美術館や王室も彼の作品をコレクションしていると聞けば、華々しいキャリアを思い浮かべるかもしれない。しかし実は、25歳までアートとは無縁だったという。
アーティスト志望であっても、アートシーンの門は狭い。ましてや欧米の美術界で日本人アーティストはマイノリティだ。そんな環境の中で松山はどうやってそのポジションを掴んだのか。
 

スノーボーダーとして活躍した学生時代


大学生のときの松山はスノーボーダーだった。
まだオリンピック競技ではなかった時代。スノーボードはエクストリームスポーツの色が濃く、大会に出るよりもバックカントリーで滑っていた松山は、目立つ存在だった。
さまざまなスポンサーからサポートを受けて海外遠征をしたり、ギアの提供を受けたり、雑誌の誌面を飾ったこともあった。
「自分の可能性を試したいと大学を1年休学したり、1年のうち9カ月も雪の上にいた年もありました」。
大学3年の正月だった。最終学年を目前に、今年はフルシーズンでスノーボードをやる。そう決めた矢先の1月3日だった。
「足首を折っちゃったんですよ。真逆に曲がっちゃって、複雑骨折。別に派手なトリックを決めたわけでもない。ちょっとしたことだったのに大怪我をしてしまった。エクストリームスポーツって、そういうものなんですよ」。
リハビリには10カ月かかった。結局、このシーズンは丸々棒に振ることになった。
「いつかは大怪我をするんじゃないかという不安があったし、やれたところで30歳までだなとは思っていたんです。だから、これでやめようって思ったのはいいんですけど、実際歩くこともできないので、このあとはどうしようって焦っていました」。
それでもひとつだけ決めていたことがあった。
「いわゆる就職活動はしないってこと。周りの友達は、テレビ局、マスコミから始まって、広告代理店、メーカー……って企業のランクだけで受ける会社を選んで、あたかも『第一志望です』って顔をして、就職活動をしていた。そのときの僕には、それがすごく無目的に人生を追求している気がして、馴染めなかったんです」。
スノーボードに代わって一生懸命できることは何か。出た答えは「ものづくり」だった。


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