「37.5歳の人生スナップ」とは……>前編はコチラ子供の頃の夢はラグビー選手だった少年が、大人になって写真の道を志した
前編。後編はどん底の学生時代、プロとしてカメラマンになるチャンスをつかんだ話から。
目指したプロになったのに、撮りたいものがない
初めて立ち会ったプロの撮影。それは音楽雑誌のアーティスト撮影だった。現場の緊張感に岡田さんは目が覚めたという。
「写真学校では、ボケてても現像がうまくいかなくても『あー、失敗した』と笑って終わり。当たり前だけど、現場ではそうはいかないじゃないですか。その緊張感に触れて、思ったんですね。『このままじゃダメだ。これが最後のチャンスだ。ここにしがみつかなくちゃ!』って」。
手伝ったカメラマンの車に乗せてもらって現場から帰る間、岡田さんは後部座席で何て言おう、いつ言おうとずっと考えていた。
「それで、目的地のほんのちょっと手前の信号で車が止まったとき、『アシスタントにしてください!』って言ったんですよ。その日初めて会って仕事を手伝った人に、いきなり」。
いきなりの申し出の返事はOK。潔く写真学校を辞め、プロのカメラマンの専属アシスタントとしての日々が始まった。ついていたのは、ファッションやポートレートを中心に、雑誌や広告の撮影を手掛けるカメラマンだった。スタジオからロケまでさまざまな撮影を経験した。無我夢中で2年を過ごし、独立した。
「独立後、何でも撮りますという姿勢で、いただいた仕事はなんでもやりました。でもあるとき編集の人に『岡田くんは何が撮りたいの?』って聞かれたときに答えられなくて」。
初めに志していた戦場・報道カメラマンはもう以前に諦めていた。撮れなかったからだ。学生時代からさまざまな国へ旅し危険な地域にも足を運んだが、カメラを持って行っても、カメラを向けることができなかったのだという。「怖かった。覚悟が足りなかったんです」。
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