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今いるココとは違う場所に行きたかった


小学生の頃の夢といえば、岡田少年の夢はラグビー選手だった。小学校5、6年生のころ、テレビで大学ラグビーを観戦して、そのトライの格好良さに心奪われたのだという。
「それで、トップ選手になるために高校はラグビーの強豪校に行って、花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)を目指そうと考えました。ラグビーを始めたのは、カッコイイ! と思ったのがきっかけではあるんですが、もうひとつ、『今いるここから出て違う世界を見てみたい』という思いを子供の頃から持っていたんです」。
地元は埼玉県大宮。住宅街で会社員の子供として生まれ育った。同級生たちも概ね同じような環境だ。そういう「フツウ」にどこか反発心を抱いていた。
「だから、ラグビーで強くなれば、ここではないどこかに行けると思ったんですよね」。
中学ではラグビー部はなかったから、野球部、駅伝選抜などで活躍し、相撲部では県大会2位の成績を収めた。そして狙い通りスポーツ推薦を獲得し、ラグビー強豪高校に入学。高校3年のときにレギュラーメンバーとして花園に出場。「あの頃のことは今でも夢に見る」というから、どれほどの集中と努力を重ね、記憶に刻み込まれた日々だったのか想像に難くない。
「でも、ラグビーはそこで終わりにしました」。
ケガをしたのも理由のひとつだが決定打ではない。希望の強豪チームへの進学が叶わなかったこともある。燃え尽きたといえば、そうなのかもしれない。しかし子供の頃からの夢を諦めても、クサらなかった。すでに次の夢があったからだ。
カメラマン、しかも、戦場カメラマンだ。
「高校生のときに修学旅行で行った先で、戦場の写真を見たんです。捕虜と兵士の写真でした。その資料館を一緒に歩いていた何人かが、全員その写真の前で足を止めました。誰も何も言わなかったけれど、全員が何かの感情を抱いたことを感じました。スポーツにしか興味のない男子高生の足を止めさせる力を持つ『写真』、そしてそれを『撮る人』の存在が気になるようになったんです」。


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