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2020.07.14

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「選手と会社、両者の目線で」矢貫俊之が球団広報として働きながら見つけた強み【後編】

>【前編】を読む
矢貫俊之さん
「37.5歳の人生スナップ」とは…
2008年のプロ野球ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから指名を受け、プロ野球選手となった矢貫俊之さん(36歳)。彼は2016年に現役から退き、現在は株式会社読売巨人軍で広報として活躍している。
幼少期から野球一筋だった矢貫さんは、なぜ33歳にして、球団職員としてキャリアを歩むことを決めたのだろうか。
 

プロ野球選手としての8年間は「かけがえのない経験がたくさんできた」

「プロ入りした当初は、すでに社会人野球での経験もあることから即戦力として期待されていました。でも、その期待に応えるような結果は出せませんでしたね。プロになったら、プロなりの悩みが生まれるんだなと痛感しました」。
矢貫俊之さん
「ただ、ファイターズでは1年だけ中継ぎの選手としてフルで出させていただき、オールスターゲームにも出場できたので、プロ野球選手として充実した時間を過ごせたなという感覚はあります。その後も、日本を代表する巨人というチームで活躍はできなかったものの、プレイをできたということはプラスの経験でしかなかったなと思っています」。
2008年からの8年間、ケガにも見舞われ、描いていたプロ野球選手像とはかけ離れていたかもしれない。しかし、そんな日々も彼は「自分の人生にとってプラスの財産でしかない」と前向きに捉えている。
巨人から戦力外通告を受けたのは、2016年10月のこと。同年11月12日に行われた12球団合同トライアウトに参加し、持ち前の速球をアピールしたが、どの球団からもオファーはなく、現役を退くことを決意した。
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「野球以外のことがしたい」現役を引退後、球団職員へ

その後、株式会社読売巨人軍の営業企画部に在籍することとなった矢貫さん。
「これもまた縁の話になってしまうのですが、これからどうしようかと悩んでいたときに、野球とは別の道で進みたいなと考えていると、巨人が『球団職員にならないか』と声をかけてくれたんです。これまで培ってきた野球の知識を活かしながら、グラウンドから離れて知らないスキルを高めたかった僕としては、巨人というチームで働くことはぴったりだった。野球の仕事を中の人としてやるということに魅力を感じたんです。だから、ほかの選択肢と迷うこともなく、すぐにでもお願いしますとお答えしましたね」。
しかし、三菱ふそう川崎時代も社内で働いていたが、あくまでも部活動が中心であったために、社会人1年目と同じ程度のスキルしか持っていなかったという矢貫さん。いざ営業企画部で働き始めてみると、コピーやメールの仕方に戸惑うことも多く、「野球で例えるならばキャッチボールを始める前の段階でしたね(笑)」と冗談まじりに話してくれた。
矢貫俊之さん
その一方、仕事は楽しく、やりがいのあるものだったと振り返る。
「営業企画部では、試合の興行に携わる仕事だったんです。例えば、試合の演出の手伝いや、地方での巨人主催試合のときにはグラウンド整備もやりました。自分が持っている野球にまつわるノウハウと、選手目線の意見を提案できる立ち位置だったので、貴重な経験をさせてもらいましたね。また、同じ部署やチームの人とひとつの試合を作り上げる経験には、野球と通ずるものがあって、すごくやりがいを感じていました」。
球場
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