「仲間がいなくなった感覚はない」プロ野球選手になれたのは縁のおかげ
プロになるまでに何度もターニングポイントがあった矢貫さん。そんな彼を支えてきたものとは何だったのだろう?
「やっぱり何も言わず後押ししてくれた両親の存在は大きいですね。あとは、歳を重ねるごとに仲間が増えていったんです。高校、大学、社会人、プロに至るまで、それぞれのターニングポイントで偶然にも縁が繋がって、支えてくれた人たちがいました。だからこそ、今の自分がいると思っています」。
大人になるにつれ、同じ夢を志す人は減っていった。しかし、「別の道を選ぶ人がいても、別れるという感覚は全然なかった」という。矢貫さん自身が縁を大事にして感謝していたからこそ、自然と支えてくれる人も多かったのだろう。
苦しい状況のなかでも、欠けがえのない縁に感謝し、野球を続けてきた。この姿勢こそが、プロ野球選手を経て、読売巨人軍で広報として活躍することになった理由にも繋がっていく。2016年、戦力外通告を受けたのちに球団職員への転身を遂げてからの奮闘記は
後編で。
連載「37.5歳の人生スナップ」一覧へ「37.5歳の人生スナップ」もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。
上に戻る 於ありさ=文 小島マサヒロ=写真