OCEANS

SHARE

ジープの代わりとして開発されたパジェロ

戦時中「零戦」を作っていた三菱重工業は、戦後スクーターくらいしか作ることが許されなかった。1953年にアメリカのウィリス・オーバーランドのジープをノックダウン生産(部品を輸入して組み立てる)する契約を獲得したことで、車の生産に携わるようになり、1960年に初の自社製自動車「三菱500」を開発する。
この三菱重工業の自動車部門が1970年に独立して三菱自動車工業となった。翌年にはアメリカでの販売を開始するなど、最初から海外での販売を積極的に展開していく。ちょうど「モーレツ社員」という言葉が流行った頃で、商社を筆頭に三菱グループが「スリーダイヤモンド」を世界的に広めていった時代だ。
「コルトギャラン」や「ギャランΛ(ラムダ)」に「Σ(シグマ)」……と、三つの菱形が入った車の海外販売も好調に推移していくが、唯一売るに売れない車があった。それが先述した三菱製のジープ(結局1998年まで生産を続けている)だ。
ジープの商標権は、1953年のカイザーによるウィリス・オーバーランド買収以降、買収の繰り返しで1970年にアメリカン・モーターズ(AMC)、1987年クライスラーへ移っていくが、とにかく三菱自動車としてジープを海外へ販売することは許されない。そこで「自社でもジープのような多目的車を」と1982年に開発したのが、初代「パジェロ」である。
1982年デビュー時はショートボディのメタルトップ(左)と、写真のキャンバスモデル(右)がラインナップ。
海外向けに生産していた小型ピックアップトラックの「フォルテ」のシャシーを使い、「ギャラン」に載せていた2.3Lディーゼルエンジンと2.3Lディーゼルターボエンジン、2Lガソリンエンジンをショートボディに搭載。
当時の4WD車としては多段となる5速MTを組み合わせ、副変速機を備えたパートタイム式4WD車とした。
しかも当時の一般的なパートタイム式と異なり、いちいち車の外へ出てタイヤホイールのロック/解除をしなくても2WD/4WDを切り替えられるようにしている。
ターボ車には自車の傾斜角度を示す傾斜計と油圧計、電圧計の3連メーターを中央に装着。運転席シートはショックアブソーバーを内蔵したパンタグラフ機構を採用して、車の振動を直接ドライバーに伝えないようにするという本格仕様だ。
初代「パジェロ」がヒットした理由のひとつは、2WD/4WDの切替が楽なことにうかがえるように、悪路走破性の高い車を、普通の人も乗れる自家用車にしようと目指したことにある。
しかもサイズは当時も人気だった「ランドクルーザー」よりもコンパクトで、全幅が1700mm以下の小型乗用車サイズ。当初こそ4ナンバー車(小型貨物車)のみだったが、デビューの翌1983年には、ランクルより先に乗用車要件を備えて5ナンバー車をラインナップ。
その後も7人乗れるワゴンタイプなどバリエーションを次々に拡大していく。さらに発売翌年から参戦したダカールラリーでの活躍によって、日本だけでなく世界中から人気を集めた。
初代から参戦していたダカールラリーでは、7大会連続を含む通算12回の総合優勝を果たしている「パジェロ」。ラリー人気の高いヨーロッパでも人気を博している。
折しも日本では国民総レジャー時代。1987年にはバブル景気に突入し、同年に『私をスキーに連れてって』が大ヒットするほど、スキー人口は増加の一途をたどる。
こうしたイケイケな右肩上がりの波に「パジェロ」は見事に乗り、1991年に2代目へとバトンタッチ。1994年に始まったテレビ番組『関口宏の東京フレンドパークII』で最高景品となり、毎週のように「パ・ジェ・ロ! パ・ジェ・ロ!」とテレビで連呼されるなど絶頂期を迎えることになる。
モデル末期の1989年(平成元年)には自動車税の課税方法が変わり、ボディサイズを問わず、排気量のみで課税されることに。これを受けワイドフェンダーとタイヤを備えたモデルも用意された。
それまで4WDといえば軍用車か、ランクルのようなプロ仕様(商用車)しかないと思われていた時代(軽自動車のスズキ「ジムニー」があったが)。そこに「誰もが気軽に乗れる四駆」として登場したのがパジェロだった。
軍事由来の技術が、デートの必須アイテムになるのだから、本当の意味でSUVの“民主化”を果たした車だったと言えるだろう。日本での生産終了は悔やまれるばかりだが、海外では今も販売が継続され、プロからファミリーまで幅広く愛され続けている。
「人気SUVの初代の魅惑」とは……
今はまさにSUV興隆の時。戦後、軍用車をベースに開発した車をルーツに持つSUVは多種多様な進化を遂げ、今や世界中で愛されている。そして、どのSUVにも当然、初代がある。そこには当代が持たない不動の魅力があり、根強いファンがいる。彼らを夢中にさせる“人気SUVの初代の魅惑”を探ろう。上に戻る
籠島康弘=文


SHARE

次の記事を読み込んでいます。