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無料だからこそプロの仕事に徹する

多くの個人にも支えられ開催にこぎつけた日比谷音楽祭だが、ゼロスタートのプロジェクトを成功させるカギはどこにあると考えていたのか。
「プロフェッショナルの仕事に徹するということです。もっとも意識したのは、フリーイベントだからこそ、アーティストも裏方も最高のプロフェッショナルチームを集結させなければならない、ということ。そのために全亀田を注入しました(笑)」。
すべてのアーティストとスタッフが、全力でお客さんを楽しませる。 ※写真提供:日比谷音楽祭実行委員会
「パッションを持って夢を語り、絶対にできるからと言い続け、僕が培ってきたアーティスト、音楽家、メーカーさん、他業界で活躍される方との関係性すべてを投入して挑みました。現段階でこれ以上はもうできない。そのレベルまでクオリティを追求していったんです」。
天命と思えるプロジェクトに、亀田さんは人生のすべてを注ぎ込んだ。それを可能にしたのは、ただただ音楽への情熱ゆえ、であった。
【日比谷公園と音楽】
ところで日比谷音楽祭の舞台は東京都が所管する都市公園。多くの人が利用する公共の場から、どうして「音楽」に特化したイベントが生み出されたのか? 日比谷公園大音楽堂 館長、菊本誠二さんに聞いた。

「東京の中心にある日比谷公園は、音楽とともに歩んできました。フォークの殿堂、ロックの聖地と呼ばれる日比谷野外音楽堂を備える日比谷公園は、日本初の洋風近代公園として、設計当初から意識的に西洋文化が取り入れられていました。それが、洋花、洋食、洋楽の3つの洋。日比谷公園と音楽は、1903(明治36)年の開園前から密接な関係にあったのです。
開園当初から音楽と深い関わりを持つ日比谷公園。 ※写真提供:日比谷音楽祭実行委員会
その関係を象徴するように、日本初の野外音楽堂として小音楽堂は1905年に、長く“野音”と呼ばれ愛される大音楽堂は1923(大正12)年に、それぞれ開館。また1929(昭和4)年には、日本のクラシック音楽の礎を築いた日比谷公会堂が建設されました。
このように日比谷公園では、歌謡曲からクラシックまで、多彩な音楽が楽しまれてきました。事務局長の私から実行委員長を亀田誠治さんにお願いし、彼から『ニューヨークのサマーステージのような音楽祭にしたい』と聞いたとき、我が意を得たりと思ったものです。日比谷公園は東京のセントラルパークと言っていい。そこからジャンルレスで、まさに音楽そのものの魅力を発信していく。これは日比谷公園のミッションであるとさえ思いました。
ただ、入場を無料にするというアイデアについては、正直『大丈夫だろうか?』と思ったものです。しかしその難題を突破し開催へ導くのですから。ご本人が『天命である』と言われるように、ものすごく深い音楽への想いを持たれて臨まれたのでしょう。
今年度は残念ながら中止となりましたが、実行委員長の情熱とともに我々事務局も次回へ向けて邁進し、また実行委員会には近隣企業も参加しているように、音楽で地域を盛り上げ活性化させていきたいと思っています」。


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