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「絶対無理」と言われた入場無料

音楽に魅せられ中学時代にベースを始め、音楽で生きていくからと大学卒業時に就職活動をしなかった亀田さんが、豊かなミュージシャン人生を歩んでこられた恩返しとして尽力した日比谷音楽祭。

音楽そのものの魅力を発信する場を生みだすために、かいた汗があった。だが、本来の役回りではないのに、なぜか?

理由はひとつ。「入場無料」にこだわったから。
亀田さんが日比谷音楽祭を入場無料にこだわった理由は? ※写真提供:日比谷音楽祭実行委員会
「日比谷公園からイベントのお話を頂いた当初、公園側にとっては亀田誠治がプロデュースする有料イベントで良かったんです。素晴らしい音楽に触れてもらうイベントを事業として成立させる必要がありましたから。そのために広告代理店もプロジェクトに参加していたんですが、しばらくして僕が入場無料にしましょうと提案したことで、スキームが根底から変わってしまいました。

実行委員長が変なことを言い出したぞ、みんな冷や汗、みたいな。それでも半年くらいはフリーイベントとして協賛企業を探そうとランニングはしたんです。ところが‥‥‥」。

実は、日比谷音楽祭には「幻の第0回」があったのだという。

2018年の開催予定で準備を進め、亀田さんはアーティストたちに声をかけていった。開催の数カ月前には最終ブッキングがほぼイメージ通りとなり、いよいよ発表という段階になって、広告代理店がおりてしまった。

「まだセールスの途中で、名前が挙がっている企業も確約は取れていないと。あの会社は大丈夫だったはずでは、と聞くと、ほかのイベントに協賛が決まって…… ということになってしまったり。チケット収入なしではマネタイズは難しいという意見でしたね。

お金が集められないということで、僕がフリーという理念を諦めて有料イベントにスイッチするだろうと考えていらっしゃったと思うんです。一方、アーティストたちはみんなフリーでの開催に大賛成してくれました。

そういうフェスが欲しかった。出たい。俺出るよ。私出ていいですか? そういう声が届いていました。彼ら彼女たちが賛同してくれた大きな理由はやはり、フリーであること。音楽を分け隔てなく届けたいという理念への共感にあって、その気持ちに誠実に応えたかった。そのため2018年の開催は諦めました。もう悔しいし、悲しかったですね」。

2日間の開催日程を1日として調整してみるなど、最後まで開催できる方法を模索した。しかしどう考えても理想の形からは程遠くなってしまい、断念。仕切り直しをして、翌年の開催を目指した。
音楽を分け隔てなく届けたいという理念に、多くのアーティストが賛同した。 ※写真提供:日比谷音楽祭実行委員会
ap bank fesで知り合った旧知のイベント制作スタッフとともに「もう誰かに頼むのではなく自分たちでセールスしよう」と決心。これまで冠婚葬祭以外でスーツを着たことがなく、ネクタイさえ締められなかった亀田さんがスーツを3着購入し、再び走り出した。

「怪我の功名ではないけれど、僕が企業に直接赴くことによって、思いをストレートにブレなく伝えられ、すると第0回では閉じていた扉が次々に開いていったんです。音楽仲間からも、協賛企業を紹介するよ、だったり、PR会社に知り合いいるからさ、と言ってもらえたり。広告代理店にはあれほど“絶対無理”と言われていましたが、状況はどんどん変わっていきました。

それに第0回があったから、布袋寅泰さんや椎名林檎さんといった、そのときに声をかけたアーティストさんたちから“次こそ絶対に出たい”と言ってもらえて、ステージのコンテンツも徹底的に熟成させることができました。本当にピンチはチャンスなんですよね。とんでもない底なし沼に足を踏み入れたな、もう出られないなと何度も思いましたよ。でも結果すべてが良い方向に変換されていきました。それはおそらく、出会った人たちと前例のない音楽祭を成功させたいという思いを共有できる仲間になれたからだと思います」。


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