「腕時計と男の物語」とは……次は負けない。このグリーンはそんな勇気を与えてくれる
深夜の住宅街、空車のタクシーをようやく捕まえ、乗り込んだ。目指すは都心の事務局オフィス。つい数時間前までいた場所だ。帰宅したのも束の間、翌朝の重大発表が決まり、緊急招集がかかったのだ。
4年に一度のスポーツの祭典に向け、これまで何年もかけて準備を進めてきた。それも決して順風満帆ではなかった。それがどうしてまたこんな事態になったのか。
ひっそりと眠りについた街の風景を窓越しに見ながらふと思った。そう、俺っていつもそうなんだ。
学生時代は陸上選手として嘱望され、代表入りを目指した。しかし限られた選手生命で、さらに4年のタイミングにコンディションや精神状態をベストに合わせるのは並大抵ではない。結果は選考落ち。そんな自分のふがいなさと完全燃焼できなかった忸怩たる思いもあって、会社から出向する大会準備委員に自ら名乗りを上げたのだった。
これから何が起きるのだろう。世界中のアスリートたちの努力や、これまで苦労をともにしてきた人たちの顔を思い浮かべると指先に震えすら覚える。落とした視線の先に、
「ラドー トゥルー オートマティック」の鮮やかなグリーンが浮かんだ。
そのダイヤルにはブランドロゴが記されるのみ。分や秒単位で正確さが求められる機能性は正直言ってない。だが大きなプレッシャーに押しつぶされそうな気持ちを支え、冷静に自分のペースを守るにはこれがいい。これまで何度救われたことだろう。
気分をリラックスさせる美しいグリーンとは裏腹に、小窓からは休みなく動き続けるムーブメントを見ることができる。そこに自分の仕事にも通じる、裏方の矜持を感じるのだ。
信号が青に変わり、止まっていたタクシーが走り始めた。そういえばなぜ信号は緑なのに青というのだろう。でも今はそんな疑問はどうでもいい。日本は停止の赤ではなく、進行の青を選び、その先に向けて進もうとしている。
煌々と明かりの灯るオフィスが近づいてきた。ファサードに掲げられたTOKYO2020も今では違って見える。だがその数字の並びは“パーフェクトビジョン”とも呼ばれるそうだ。それは本質を見極める力であり、視野を広げるという意味もある。
今年はまさにパーフェクトビジョンが試される1年になるだろう。そんな決意とともに、戦いの待つ“競技場”へと駆け込んだ。
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