OCEANS

SHARE

高卒ルーキーから絶対的エースへ

 
 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Love y’all just as much if not more! THANK YOU! ??. #ThekidfromAKRON??#TheManInTheArena
LeBron James(@kingjames)がシェアした投稿 –
 
オハイオ州アクロン生まれのレブロンは、母子家庭の厳しい環境で育った。しかし、努力に努力を重ね、早くして才能を開花。高校卒業後、そのままNBAへ挑戦した。ほとんどの選手は大学を卒業してNBA入りするので、非常に珍しいケースである。
超豊作と言われた2003年のドラフトで全体1位指名を受け、地元球団のクリーブランド・キャバリアーズに入団したレブロンは、初年度から新人王を獲得。プロ3年目以降はチームの絶対的スターとして結果を求められる立場となり、かつて所属したマイアミ・ヒートとクリーブランド・キャバリアーズにチャンピオンの称号をもたらしてきた。
清水さんは前置きとして、キャリア初優勝を成し遂げたマイアミ・ヒート在籍時のレブロンをこう振り返る。
「レブロンは、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュという圧倒的な個性とともに“BIG3”を形成します。彼はチームメイトの不調や怪我を圧倒的なパフォーマンスでカバーし、何度もその手でチームを窮地から救ってきました。それを受けて、絶対的なエースであったウェイドからリーダーの座を継承し、2011-12年シーズンに悲願のキャリア初優勝、そして翌年に連覇を成し遂げたんです」。
兼ねてからリーダーとしての素質を随所で覗かせていたものの、正式にリーダーシップをとりはじめたのは、キャリア10年目に差しかかる手前くらいから。
そして、NBAのキングは地元オハイオに戻り、満を持してクリーブランド・キャバリアーズに帰還するのだが、皮肉にも彼が思い描くリーダーシップが、大きな悲劇を招くことになる。
レブロンを迎えたキャバリアーズは、初年度からNBAファイナルに進出。そして、翌年の2015-16年シーズンには昨年敗れたゴールデンステイト・ウォリアーズに大逆転でリベンジを果たし、地元に悲願の初優勝をもたらした。
試合後のインタビューで「クリーブランドよ、この優勝をお前にささげる」と泣き崩れた姿は、今でもNBAファンの脳裏に焼きついているはずだ。


3/5

次の記事を読み込んでいます。