「腕時計と男の物語」とは…?この角形時計があればもう決して人生に迷わない
郵便受けに入ったエアメールを見つけた。はやる心を抑え、まず紅茶を入れ、その封を切った。
「日本ではそろそろ花便りの頃かな。ニューヨークの街にもライラックの香りが溢れ、春めいてきたよ」。
屈託のない時候の挨拶からとりとめもない近況報告が続く。こんなところも彼らしい。目の前にいたら、やんわりと制してあげるのに。目を留めたのは次の一文だ。
「こっちのプロジェクトも一段落し、ようやく戻れそうだ。これまで頑張ってやってこれたのもこの時計のおかげかもしれない」。
それはあの角形時計のことだろう。当初なかなか仕事でも成果が出ず、異国での生活にも疲れ果て、ふさぎ込んでいると聞き、私が様子を見に行ったときのことだ。それでも励ます言葉が見つからず、賑わう街を目的地もなくただふたりでさまよい歩いた。そのうち街全体が碁盤の目になっていることに気付いた。
「マンハッタンは東西がストリート、南北がアヴェニューになっているんだよ。だからよほどの方向音痴でないと迷子にならない」。
ふーん。まるで地元の人みたいじゃない。でもそんな街で迷っているのはあなた自身じゃないの、と心で呟いた。そのとき、ふと見上げたビルには彫像が巨大なクロックを頭上に掲げていた。ティファニーの本店だ。
「そうだ! ここで腕時計を買ってみたら? 改めてニューヨークの時間の針を進めるためにさ」。
この突然の提案に彼も同意した。こうして選んだのが角形時計
「ティファニー 1837 メイカーズ」だった。四角く区切られた街のように、決して人生を迷わないように。
「きっと君は僕が頑なで、角が立っていると思ってこれをすすめたんだろうね。でも確かに合ってると思うよ。それにこの時計を見るたび、励まされているような気になるんだ」。
そして手紙の最後にはこうあった。
「今度はティファニーでふたりの指輪を買おう。ホリー・ゴライトリーのような、おまけの指輪に名前を彫るのではなくってね」。
考えてみたら私は人生においてラブレターというものをもらったことがなかった。そしてこんなに愛しいラブレターは、きっともう二度ともらうことはないだろう。
2/2