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「音楽しかなかった」多感な思春期

SHOCK EYE
「最初にターンテーブルを買ったのが、16、7歳の頃。でも当時はプロになりたいなんて思っていなくて、DJをやったら友達が喜んでくれるし、モテるんじゃないか?って(笑)。そんな不純な動機でしたね」。
当時流行していたヒップホップを中心に、友人との遊びの延長で音楽を始めた。カルチャーを含め、ヒップホップの魅力にハマっていったという。
「実は僕、進学校からドロップアウトしちゃったんですね。それで“不良”とか“喧嘩が強い”ことが良しとされている場所に流れていくんだけど、そういう世界にも辟易としている時期だった。自分はそういうんじゃないなって」。
居場所を求めるなかで見つけた音楽は、SHOCK EYEさんにとっての希望だったという。音楽を通じてたくさんの仲間と出会った。さらに友人に連れて行かれたジャマイカでの短期留学でレゲエミュージックを知り、衝撃を受けたという。以来、レゲエにのめり込んでいった。
SHOCK EYE
「とはいえDJである限りはひとりでの活動がメインで、寂しいじゃないですか。それで友人のグループに入ることにしたんです」。
グループに加入したことで初めてボーカルとして歌うことになったが、最初は単なる内輪ウケのものでしかなく、まだまだプロを目指すという自覚も芽生えていなかった。
「ひどいもんでしたよ、一応自分で歌詞も書いてたんですけど、クラブで歌っても全然盛り上がらない。近しい人間だけですよね、わー!って言ってくれるのは。今考えるとよくこれでマイク握ったなって。でも僕には音楽しかない、とは思っていましたね」。
10代後半から20代前半、日雇いの仕事をしながら、仲間と集まり音楽を作る。この曖昧で自由な時間が永遠に続くような気がしていた。


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