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白石氏の話からは成功者がすべて幸福なわけではないということを考えさせられる(撮影:今井 康一)
もしかして、妻がいなくなるなんて小説を書いているからこんな精神状態になるのではないか、このまま続けたら本当に妻の嚢胞ががん化してしまいはしないか、と考えた白石は、「撤退だ」とばかりに尻すぼみでまとめ上げた原稿を編集者に渡し、「小説のために女房を失うわけにいかない」と告げた。
担当編集者からは「改稿のご提案をいくつかさせていただいたんですけど、お話を聞いて、あまりのことにびっくりしてしまって。本当にそんなことになってしまったら大変だと。結果的に小説よりも白石さんの人生を優先すべきだ、と考えました」と言われたと苦笑する。
そんな経緯で書き上げられた連載原稿は、書籍化に際し『君がいないと小説は書けない』とのタイトルをつけられた。確かに、それ以外にはないと思えるほどぴったりのタイトルだ。

なんのために小説を書くのか

白石が過去から現在までの人生を面白おかしく語る話に響く通奏低音があるとすれば、それは「いのちがけで小説を書く」というただ1点の美意識なのだろう。最後に、なんのために小説を書くのかと尋ねたら、白石は「もうね、それしかないんですよね。ほかに自分がやれることは」と答えた。
「これはね、井戸掘りなんです。僕は体が弱くて、全然行動力がなかったんですよ。だからすべてを活字で身につけようというところがあって、例えばアフリカの砂漠を自分で横断するのではなくて、砂漠を横断した人の本を1000冊読む。だって砂漠なんか行ったら、僕本当に死ぬから」。
『君がいないと小説は書けない』(新潮社)白石 一文
『君がいないと小説は書けない』(新潮社)
だから井戸掘りみたいにやぐらを組んで、そこを掘っているのだそうだ。「掘るしかない。他にやることないもの。で、掘ってると時々砂が湿ってくるんです。もしかしたら水脈あるな、なんて。おそらくこれで人生を台無しにした人いっぱいいると思うんです。ギャンブルとかと一緒だと思うんですよ。死屍累々、でも掘るしかない」。
小説の才能の泉が、時々ちょろっと湧いて湿る。その湿り気を手応えとして、いつか映画『ジャイアンツ』でジェームズ・ディーンが油田を掘り当てたシーンのように「シャーって出てくるんじゃないかって」、その瞬間を待っているのだそうだ。
直木賞だって取ったではないですか、それこそシャーッドッカーンでしょう、と言うと「それはちょっと濡れた扱い」。人生が大失敗だったと語り、凡人から見ればもはや何を目指しているのかとらえどころのない天才は、飄々と答えた。彼はこれからも奥さんと仲良くして、「シャーっと水が湧き上がる」瞬間が自分の中から生まれるのを待ち、自分が本当に満足できる高みを目指して、ただいのちがけで書き続けていくのだ。
 
河崎 環:フリーライター、コラムニスト
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記事提供:東洋経済ONLINE


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