白石はそれを「観念的な行為」と呼んだ。編集者との会食にも、妻を同伴したい。するとその食事代を出版社に出してもらうのも悪いので、編集者を自宅に呼んで手料理を振る舞いながらの打ち合わせとなる。
「奧さんを抜きにしてどこか行くことは、まずないです。ずーっと一緒にいる。それはそれで思った以上に楽しいんですよ。一緒にいる人は大事にしたほうがいいよ。夫婦で大好きって言い合って満たされている人たちを見ると、この人たちは幸せだなぁと思う。でもそんな満たされた夫婦関係を書いたって3行で終わってしまうから、本にならないんだよ(笑)」。
白石は、作中に登場する人物に幸せの定義をこう語らせている。「朝、ベッドで目が覚めた時に隣で眠っている妻の顔を見て『ああきれいだなあ』って思えたら、男としてこれほどの幸せはないんじゃないかって僕はいつも思っているんだよね」。
それは単純な美醜の問題だけではないように思えた。美醜が果たして客観的にどうあれ、共に老いていく妻の寝顔をいつまでも美しいと思える関係性と自分の心のありようが、男たちにとって「これほどの幸せはない」のだろう。
小説の結末はこうなる予定ではなかった
驚いたことに、白石は「この小説はもともとは奥さんがいなくなる小説になるはずだったんです」と話した。
実際の結末では妻はいなくならないどころか、少々性急な印象さえ受けるほど漠然とまとめられている。「はじめは、僕自身が女房にすごく依存しているので、この小説はちょっとうちの女房がいなくなったらどうしようというのを思考実験として書こうとしたんですよね。想像したら、基本ほんとにお手上げ。最初の1週間、10日、1カ月がもたない。もう下手すると死んじゃうんじゃないかと思うぐらい」。
確かに相当な依存ぶりだ。「ところが書いているうちに、たまたま偶然、女房の体に膵嚢胞が見つかったんですよ。要注意で今も経過観察なんですけど。僕は例によってすごく心配して、いろいろ調べ回って、親しい医師にも連れて行って画像を見てもらったりしたら、医師が『これは良性で心配ないけれど、念のために腫瘍マーカーを取ろう』と言ったんです。その瞬間から僕、精神的におかしくなっちゃって」。
結果が出るまでの数日間、食物が喉を通らなくなり、やっとの思いで出かけた先でオムライスを食べたら「もう、砂」。
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