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一方、1980年代は女性の管理職やトップが活躍し始めた時代でもある。イギリス初の女性首相マーガレット・サッチャーが登場したのも、まさにこの時代。アルマーニはメンズウェアで成功した手法を女性服に応用し、女性に優雅な貫禄と威厳を与えるスーツを作った。
それまでは女性が着る仕事服といえば、有能な秘書に見えるようなワンピースやアンサンブルがほとんどだった。だが、彼が上質な素材で作る高級テイラードスタイルは、女性の品位とトップの威厳を両立させるもので、服により自信を得た女性は、より高いステージで活躍の場を広げた。
このようにアルマーニは、つねに時流を先導し、男女双方の願望を後押しするような作品を創造してきた。

デザイナーにして経営者という立場を守り抜く

また、彼はビジネスマンとしても手腕が高く評価されている。
1990年代に起きたラグジュアリーブランドの買収戦争に巻き込まれることなく、主任デザイナーにして経営者(単独株主の代表取締役社長)という立場を守り抜いてきた。そのうえで会社をインテリア、レストラン、ホテルなど幅広い分野をカバーするトータルライフスタイルブランドに育て上げたのだ。
デザインと経営、双方のキャリアを築いた背景には、1つの別れがあった。公私ともにパートナーだった10歳年下のセルジオ・ガレオッティを失った経験である。彼はアルマーニとともにブランドを立ち上げ、経営や対外的な仕事を担っていたが、1985年に40歳の若さで他界した。支えを失ったアルマーニは絶望し、しばらく引きこもる。
だが、デザイナーにして経営者という2つの顔を兼備して再出発するのである。
その後はクリエーティブな才能を戦略や財務の分野にも発揮し、独創的な宣伝戦略を展開していった。前述の『アメリカン・ジゴロ』の話にしても、映画に衣装を提供するという手法をいち早くとった広報戦略である。現在ではごく一般的に行われている「セレブリティ・エンドースメント(有名人お墨付き=アカデミー賞授賞式などに出席するスターに自社の衣装を着てもらう宣伝手法)」は、アルマーニの発想に端を発している。
サッカー選手のイングランド代表チームのスーツを2回デザインしていることをはじめとし、オリンピックでのイタリアチームのユニフォームを作るなど幅広くスポーツ界にも貢献している。
サッカー選手がスタイルアイコン(映画やCM、公私にわたる言動などを通じて大衆につねに存在感とファッションを意識されている人のこと)になりうることにいち早く注目し、ほかのブランドに先駆けてサッカー選手のスーツを作った慧眼には驚かされる。


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