OCEANS

SHARE

オウ、マイ、キンジ

「僕は阪神淡路大震災を機に上京するんだけど、(本国の)アナトミカがオープンしたのはそんなときだった。もちろんピエールのことは知っていたからね。今度はどんな店を作ったんだろうと冷やかしがてらのぞいてのけぞった。オールデンとともに売り場を占拠していたのはビルケンシュトックにバークマン。バークマンはウッドサンダルのブランドだ。その品揃えを見て、ピエールは只者じゃないって確信したね」。
寺本欣児(てらもと・きんじ)●1989年、25歳の年に神戸でサーティーファイブサマーズを創業。ロッキーマウンテンフェザーベッド、マイティーマック、ビッグヤンクの“実名復刻”を果たす。2008年にアナトミカのオリジナルレーベルをローンチ。社名に込めた思いは「創業から35年後の夏に辞める」。5年後がその時となる。
ドイツのケンペルでひと山当てたり、1980年代後半にその看板を下ろしたロッキーマウンテンフェザーベッドの商標を買ったりと、日々の仕事をこなしながらもピエールのことは寺本の頭から離れなかった。
2006年。寺本は勇を鼓して売り込みに向かった。アイテムは、ブルックス ブラザーズのアメリカ最後の下請け工場で作ったボタンダウン。生地はブルックス ブラザーズと蜜月の関係にあったダンリバー社製。渾身の一着だ。ところがピエールはシャツには見向きもしないで寺本がはいていたデニムに釘付けになった。
そのデニムはUS.ネイビーのアーカイブをベースに作った、ノーシームのファイブポケットだった。
「当時のピエールはアメリカのプロダクトから距離を置いていた。なぜなら猫も杓子もアメリカの時代だったからね。でもその魅力には抗えなかったんだろう。僕としてはシャツを見てもらいたかったんだけどね(笑)」。
寺本は2年かけてピエールのリクエストすべてに応えた一本を完成させた。それまでアナトミカではデニムを扱っていなかったこともあって、初回発注分の100本はあっという間に売れ切れたという。何百本もリオーダーが入って、卸すことも決まった。
ピエールとは「オウ、マイ、キンジ」と呼ばれる仲になった。先のシームレスを特徴とするモデル618やラグラン袖のコートなどかれこれ20点は作ってきたが、ひと筋縄ではいかないアナトミカのオリジナルのなかでももっとも手こずったのがワクワだった。
「気付けばあっという間に55歳。引退宣言した60歳まであと5年しかない。今となってはやりたいことがまだまだあるから前言は撤回しちゃうだろうね(笑)。何がしたいのかって? それはもちろん、アナトミカを通してMADE IN JAPANの魅力を伝えること。これに尽きるね。さしあたって革靴を完成させたい。実はすでに6年半かけているのにまだ発展途上なんだ。ぼくは江戸店と呼んでいるんだけど、この東日本橋の店が10周年を迎える2021年にはなんとか、って思っています」。
神田川のほとりに店を構えるアナトミカ東京。
寺本が「江戸店」と呼ぶアナトミカ東京。
住所:東京都中央区東日本橋2-27-19 Sビル1F
電話番号:03-5823-6186
営業:13:00〜20:00
火曜定休
[問い合わせ]
アナトミカ 東京
03-5823-6186
竹川 圭=文


SHARE

次の記事を読み込んでいます。