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アシスト役の葛藤、この世の終わりを感じたケガ

しかし、アシスト役としての競技人生において、自分もトップを狙いたいとは思わなかったのだろうか。
映画『栄光へのマイヨジョーヌ』のワンシーン
映画『栄光のマイヨジョーヌ』のワンシーン。列を成すチームの走りは美しい。
「それに関しては相反する2つの気持ちがあります。例えばサッカーなら点を決めるのはフォワードで、ディフェンスは地道にゴールを守る存在。野球でもピッチャーは一人で、ほかのメンバーは彼をアシストする立場にある。
自分の仕事のベストを尽くすという意味では、アシストに回ることは当然の役割です。なぜなら僕はほかの選手の方が実力があると思っていたし、キャリアを長く努めたいと考えたときに、アシストというポジションは最適だと感じたから。
ただ一方で、自分が勝ちたいという思いも、実はありました。だからこそ、キャリアの中で唯一の優勝である『パリ~ルーベ』が誇りなんです」。
“誇り”だとマシューが語る「パリ~ルーベ」は、全長260km。ワンデーレースの中ではもっとも格式があると言われ、「クラシックの女王」とも呼ばれながら「北の地獄」という異名を持つ、かなりハードな大会として知られている。
その代名詞となるのが約55kmにも及ぶ石畳区間だ。晴天ならば土埃が舞い、雨天なら泥まみれになる。ラフに敷き詰められた大きな石畳は、常にパンクや転倒の危険があり、選手を苦しめる。
映画『栄光へのマイヨジョーヌ』のワンシーン。
こんなふうにして自転車のメンテンスを行う。『栄光のマイヨジョーヌ』には、こうした瞬間も映し出される。
「すごく危険な一方でほかの選手よりも楽に走れている感覚があって、僕のフィジカルにはすごく合っていた。260km絶えず要求される集中力とコース戦略など、タフなメンタルが必要なところも僕に向いているんです。だから、何度もいいところまでいっていたんですが……それでも勝てないレースでした」。
2016年の「パリ~ルーベ」に向けて、マシューの仕上がりは順調だった。南アフリカでのトレーニングやハードワークを積み、今年こそは行けるのではないかという期待もあった。年齢的に残りのチャンスは多くないと、この年にかける思いも強かった。
ところが、5週間前のレースで右腕橈骨を骨折。その後に予定していたレースはすべて白紙となった。
「この世の終わりかと思うぐらいショックでした。もう終わったと思いましたね」。


4/5

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