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絵を描くこと=褒められることだった

小杉幸一
生まれは神奈川県川崎市。家族でクリエイティブな職業についていた人はいないが、趣味で絵を書いていた祖父、真多呂人形づくりの先生であった祖母、手先が器用な父、書道をやっていた母がいた。そんな環境の中、小杉さんは幼い頃から、「絵が得意な子」として周囲に認識されていたという。
「というのも、別に僕の実力じゃなくて、小1で僕の宿題だった自由研究を父が手伝ったから(笑)。それがたまたま賞をもらったもんだから、美術ができる人というキャラが出来上がってしまった。でもそのキャラが、『僕、美術好きかも』っていう気持ちを育ててくれたんです」。
当時クラスで流行っていたキャラクターのイラストを書くと、友達が喜んでくれた。美術の時間は写実的に絵を描くと先生が褒めてくれた。おばあちゃんに似顔絵をプレゼントするといつもより頭を撫でてくれた。小杉さんにとって絵を描くことは、褒められることと同じだったのだ。
「これを描きたい!という願望はなかったけど、自分の描いたもので誰かを喜ばせることができるのが嬉しかった。勉強も運動も平均的だったので、なおさら美術は特別でした」。
課題に対するアウトプットがゴールだった学生時代。漫画を描いて、みんなに配ったこともあったという。やがて進路を意識し始めるころ、友人に「絵が上手いんだから、美大行けば?」と言われて受験を決めた。
「それまで絵に対するポリシーみたいなものはなかったのですが、改めて勉強し始めて、僕は抽象画や印象派のような絵画よりも、マグリットやダリのようなメッセージを感じられるものが好きだと気づきました。人に伝えたい、という気持ちに共感できたんです」。
それはデザインの考え方に近かった。一浪して美大を受験し、武蔵美術大学に入学。そこで興味を持ったのがポスタービジュアルだ。
「グラフィックデザイン全盛期だったからか、一番心を惹かれたのはポスターだったんです」。


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