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脱サラして経営者の道へ

前田康弘
30歳を目前に今後の人生を考え始めたとき、このままサラリーマンで終わっていいのかという思いが常につきまとっていたという前田さん。それと同時に、陸上指導者という夢もうっすら芽生え始めた。
「でもまだ30歳やそこらでは、指導者のポジションにつくのは難しい。このままサラリーマンとして生き続けるのか。悩んだ末に親父の会社を継ごうと決めて思い切って会社を辞め、千葉の実家に戻ったんです」。
高校以来、初めて陸上から完全に離れた生活を送り、父の経営する会社の後を継ぐべく、その元で経営のノウハウを学ぶことになった。初めて陸上とまったく関係ない世界に生きたその年の正月は、箱根駅伝をどこか寂しい気持ちで見守っていたという。
「サラリーマンをやってたとはいえ、これまで10年以上、常に生活の中心は陸上でした。走らなくなって、経営や現場の人たちとの交流など新しい世界を覗けたことは自分にとっての挑戦でもありました」。
陸上の世界から新たに経営者としての世界に足を踏み入れた前田さん。しかしその矢先、父親の白血病が発覚。程なくして、この世を去るという不幸が訪れる。
「会社のことも何もかもこれからだった。僕がこんな未熟な状態のまま会社を継ぐことはできない。会社はまだまだ父のものなので、父がいなければ機能しない状況だった。そこでやむなく、会社を畳むことにしたんです」。
従業員に頭を下げ、奔走する日々。父の死を悼む時間もなかった。
「陸上から離れ、指導者の夢も諦めたのに、何もかもゼロになってしまった。『これからどうしよう』と絶望しましたね」。


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