父の死をキッカケに、陸上の世界にカムバック
父の元で本格的に経営のノウハウを学ぼうとしていた矢先に起きた出来事。悲しみにくれる前田さんを救ったのは、やはり「陸上」だった。
「どこかで自分がこんな状況だと聞いたのか、『國學院大学のコーチをやらないか』、という話が舞い込んできました。自分のような若造でいいのか……という迷いもありましたけど、どこかで父が背中を押して『指導者の道を進め』と、そういってくれているような気がしたんです」。
2007年5月コーチに就任。2009年8月、31歳で当時の大学駅伝最年少監督となる。就任したからには結果を出さねばならない。プレッシャーをはねのけ、予選落ち続きだった國學院大学を、就任後すぐ本選出場まで押し上げた。
「就任してから5年連続で本選出場して、正直調子に乗ってましたね。そんな自分に喝を入れたのが2015年での予選落ち。どこかに慢心があったのでしょう。ショックだったし、自分が不甲斐なくて目が覚めました」。
慢心は当時、自身の体にも表れていた。気持ちを入れ替えて、8kgも減量し、選手との関わり方についても改めて見つめ直した。それ以来、チームとしても徐々に成績を伸ばし、今回の出雲大会での躍進につながっている。
もちろん、大八木監督も頭を悩ませたという選手起用に関しても、コミュニケーションを大事にしている。何よりメンバーから外した選手に関しては慎重だ。
「自分が現役時代、箱根駅伝に情熱を注いでいたからこそ、選手たちの落胆やその後の人生に与える影響もわかる。最近の生徒たちは直接的なコミュニケーションが苦手な子が多い。大事なこともメールや人伝てだったりする。そういったことも受け入れ、生徒それぞれの多様性を尊重し、そのうえで根気よく会話することを心がけています」。
雑草だったランナー生活から父の死を乗り越え、指導者として開花した前田さん。「陸上」に人生をかける、その情熱の秘訣を聞いた。
「迷ったときは、面白いと思った道を突き進むこと。この年代になると迷うことも多いし、守りに入りたくもなるけど、楽しいという感情には何も勝てないんじゃないかと思います。僕にとってそれは陸上だった」。
前田さんが情熱を燃やし続ける箱根駅伝が、もうすぐそこに迫っている。
藤野ゆり=取材・文 小島マサヒロ=写真