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サバンナで生きることを決めた37歳

沖野敦郎
沖野さんは3年前、“師匠”である臼井二美男さんの元を離れて独立した。安定した地位を捨て、自分でイチからスタートさせるというのはさぞや勇気のいることだったろう。なぜ11年勤めた製作所を辞め、沖野さんはここ蔵前に自身の工房を立ち上げたのだろうか。
「よく動物園に例えるんですよ。雇われているときは動物園の檻の中で自由度は少ないけど絶対にご飯はもらえる。でも独立するということは、サバンナに放り込まれるのと一緒です。無限の自由があるけど自分で狩りをしなければ飯は食えない。どちらがいいか? となったときに、僕はサバンナでの自由を取ったんです。周囲には反対されたけど自分にとって何がいちばん大事かを考えたんです」。
独立に踏み切ったのは37歳のとき。40歳を目前に、ふと未来の自分を想像して立ち止まったことがキッカケだった。
「30代後半になって、雇われ続けた先の10年後の自分を考えたんです。そうしたら、想像の中の自分が全然、楽しそうじゃなかったんですよね。我慢したり何かを諦めたりしながら仕事をしてる姿が浮かんだので、それだったらもう独立しようと決意しました」。
スポーツ義足の世界で独立という決断をする人は少ないという。日本では「義足はお金にならない」と思われているからだ。実際多くの人に反対されたが、沖野さんの気持ちに迷いはなかった。しかし、いざ独立してみると途端に大きな不安が押し寄せたという。
「独立して最初の2カ月、とにかく暇でした。暇すぎて精神的にきつかったので、意味もなく会社の周りを真昼間からぐるぐる散歩したりとか、よくしてましたね(笑)。このままお客さんが一切来なかったら……と考えるのも怖かった」。


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