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沖野さん

「こんなの履けねえよ」と言われ涙した夜。

国家資格取得後は大手の義肢装具の製作所でスポーツ義足を専門とする“上司”の下、およそ11年間働いた。しかし義肢装具の現場は生半可な覚悟ではいられない場所だった。
「義足は、角度や数値の世界。カーブは何度、半径は何ミリと、すべて細かく数値で決まっていて、その通りに作れば本来ぴったり足にはまるはずなんです。でも実際の義肢装具の現場では数値よりも感覚が大事とされています」。
目でみろ、聞くな、感覚で覚えろ。義肢装具の現場は沖野さんが大学で学んでいたようなデータを基にした世界ではなく、良くも悪くも昔ながらの職人気質な場だった。専門学校で学んだ、教科書通りの作り方はなんの意味も持たなかったという。
「教科書通りに作って義足が合うんだったら、世の中に義足が合わない人はいません。でも実際現場に出ると、そんな人が山ほどいる。合わないっていうのはただサイズが違うだけではなくて、料理の『不味い』と一緒。甘い、しょっぱい、辛い、という風に感じ方は人それぞれですが、全部集約して“マズい”、じゃないですか。義足もそうで、高さ、厚み、フィット感、材質、それぞれに“マズい”と感じるポイントが違う。ユーザーの感覚なんです」。
マズい理由を懇切丁寧に説明することが意外と難しいように、ユーザーの中には「義足が合わない」理由やその違和感を伝えるのが苦手な人も少なくない。義肢装具士はそんなとき、一体どこがどうマズいのか相手の感覚を推し量らねばならないのだ。
義肢
「ただひとつ言えるのは、ユーザーが『合わない』と言えば、もうそれはどれだけ数値が正しかったとしても正解ではない、ということ。ユーザーが何を望んでいるか、それを引き出す能力が必要なんです。その感覚を掴まないことには上手なフィッティングはできるようにならない」。
数値の正確性と、職人としての肌感覚という相反するものが求められる義肢装具士の世界。技術に加えて、ユーザーとのコミュニケーション能力が必須になる世界に馴染めず、離れていく人は少なくないという。また、ユーザーが義足に求める理想を実現できず、心が折れてしまう人もいる。
「その人が決して安くない金額を出して、ずっと使い続けるもの、体の一部になるものですから。合わない義足を作ってしまった時に激怒されたことも1回や2回じゃありません。ユーザーの納得がいくまで作り直したことは何度もあります」。
こんな若造の作ったもの履けるか、と義足を投げつけられたこともあったという。何が気にくわないのか理由も伝えられないまま、担当を変えさせられたこともある。
「一番心が折れたのは、競技場で選手に怒鳴られたときですね。僕の作った義足をちらっと見て『こんなの履けねーよ、きたねーな!』とみんなの前で一蹴された。履いてもくれませんでした。あのときはさすがに、ホテルに帰って泣きましたね」。
ユーザーとのコミュニケーションの難しさ。何を義足に求めているのかを察する能力。専門学校の同期がどんどん業界から離れていく一方で、それでも沖野さんが諦めずに義肢装具士としての夢を追い続けられたのはなぜだったのか? その続きは後編で。
藤野ゆり=取材・文 小島マサヒロ=写真

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