OCEANS

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「当時、僕は文系の学部に通う普通の大学生でしたが、当時、クルックのレストランでバイトをして、お店で提供するこだわりのオーガニック食材に驚いたんです。味はもちろん、レストランに野菜を卸している生産者やシェフの話の面白さと、生き生きとした表情。それまでファストフードのお店でのバイト経験しかなかった僕には衝撃でした。
そこで卒業後は1年間、鴨川にある家族経営の小さな農場でおコメづくりを手伝う進路を選びました」。
その後、小林さんから「一緒に農場を探すぞ」と声をかけられ、迷うことなく合流したという。小林さんは、Mr.Childrenの櫻井和寿氏、坂本龍一氏と3人で資金を拠出し、環境プロジェクトへ融資する「ap bank」を長年運営している。その小林さんは、この土地を見つけたことを皮切りに、「農地所有適格法人 株式会社 耕す」を設立、農場経営に乗り出すことになる。
伊藤さんらは長野など複数の土地を訪ね歩き、やっとのことで探し出したのが、ここ木更津の土地だった。今のような農地が最初から用意されていたわけではない。ここはもともと牧場跡地だった荒れ地で、伊藤さんたちが数年がかりで開墾してきた。
以来、約10年間という気の遠くなるような年月を経て、現在は伊藤さんがリーダーとなり、有機野菜作りを精力的に行っている。畑に着くなり、楽しそうに枝豆の説明を始めた伊藤さんの輝く汗がまぶしい。
「ここにトラクターでガーッと枝豆の種を蒔いたので、3日くらいすると芽がきれいに生えてくるんですよ」。
枝豆の品種は、君津市の小糸川流域で栽培されている大豆「小糸在来®」だ。
「これがめちゃめちゃ美味しくて、香りもすごくいいんです。甘みもあって、塩をしっかりふると味が引き立って。茹でた瞬間に食べるとたまらないですね」。

少量生産・割高=有機農業でビジネスが成り立つのか

その美味しさにほれ込んで、わざわざ移住してくる人もいるほどだという。伊藤さんは8年ぐらい前からこの枝豆を作り続け、今は年に3、4トンほど収穫している。ほかにも、例えばニンジンは冬と春に50トンずつ、年間100トンにも及ぶ量を収穫する。有機といえば少量生産、という一般的なイメージとかけ離れたスケールの大きさに圧倒される。
「かなりの生産量があるので、イトーヨーカドーなどの大手スーパーにも卸しています。ここに来たお客さんとの会話の中で、ニーズが高い野菜を地元のスーパーでも買ってもらえることが理想ですから。10年来の付き合いがあるスーパーのバイヤーさんから市場のニーズを吸い上げて、契約栽培のような形が実現できているのはありがたいですね」。
「有機野菜は値段が高いから儲かるだろう」と思うのは大間違いだ。むしろ農薬が使えないため害虫の被害にも遭いやすく、ハウス栽培でもないので、変動する天候の影響も受けやすい。ある意味、リスクだらけのビジネス。365日気が抜けず大変そうである……。そんなことを考えていたら、こちらの思いを察したのか、伊藤さんが次の場所へと案内してくれた。
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「ぜひ見ていただきたいのが、土にビニールを張った畑です。ビニールをかぶせた畑って、70度くらいまで温度が上がるんですよ。そうすると蒸し風呂みたいになって虫が死ぬし、野菜が病気になるウィルスや細菌もいなくなる。雑草も生えなくなる。薬が使えないぶん、そうやって工夫した健康な土のベッドに野菜を植えているんです」。
これだけ広い畑で作物が害虫や病気の被害に遭ってしまったら、少ない人手だけでは対処しきれない。10ヘクタールの畑で常時作業しているのはクルックの社員3人だけ。繁忙期のみパートで8、9人に手伝ってもらっているのだ。それでこの大規模な農場を効率よく回転させているのは、まさに持続可能な農業のあり方といえるのではないか。
「ビジネスの面でも作業の負担の面でも、アイデアやスキルを駆使しないと利益は出ませんからね。法人で有機農業をやっている会社はどこもめちゃめちゃ苦しいです。でも嘆いてばかりいたら、日本の有機農業はこのまま衰退するかもしれない。そういう過渡期に、僕たちは賭けてるんです」。
あえてリスクの高い世界に飛び込み、前例のない事業に挑む。そんな彼らの決断の決め手になっているのは、経営者である小林さんの存在が大きい。
「食を中心に人間の本質的な喜びを提供することで、サステイナブルな未来のあり方と命の手ざわりを感じてもらう」。そんな小林さんのビジョンに共鳴した若者たちだけが、ここには集まってきている。
「すでに出来上がったものより、新しいことにチャレンジしたい。そして、理想の生き方と働き方を実現したい。それができる仕事にやりがいを感じて、県外から農場の近くに越してきて働いている人も多いです。みんなベンチャー気質があって、話していても面白いですね」。

人の手による生産過程と消費が見える場所で働きたい

伊藤綾花さん(撮影:東洋経済オンライン編集部)
クルックフィールズには、もうひとつ農場がある。多種多品目の野菜やハーブ栽培をし、一般の来場者に身近に感じてもらう体験型の畑「エディブルガーデン」。リーダーを務めるのは、伊藤綾花さん(32歳)だ。
「トマトは5種類ほど、トンネルみたいにして育てているので、子どもたちが来ると中をくぐって楽しみながら収穫しています。有機栽培なので蜘蛛の巣も張っているんですけど、蜘蛛は害虫を食べてくれるので殺さないんですよ」。
自然の循環を学ぶために来る親子や、有機での野菜栽培を学びに来る人。そういった来場者たちに、養鶏場の鶏糞や水牛の牛糞を堆肥として活用していることなど丁寧に説明するのも伊藤さんたちの役目だ。
伊藤さんも紆余曲折あってこの地にたどりついたひとり。海外で4年近く有機農業を学んできたという伊藤さんが、この農場を選んだのは明確な理由がある。
「もともと環境問題に興味があり、大学は農学部に進んだんです。その後、アメリカのシアトルからフェリーで20分ほどのところにあるヴァション・アイランドという島で1年半、オーガニックの苗農家で研修生として働きました。そこは経営的思考が強いところでした。大量の種をどんどん植えて草を取り続けたり、自分が目指しているものとはすこし違うかなと感じました」。
そこで伊藤さんが次に飛び込んだのは、“アメリカ型”とはまったく違う「有機の世界」。
「アメリカの次はフィリピンの農家で、青年海外協力隊のボランティアとして2年働きました。そこでは、農薬も化学肥料も買えない環境でした。でも、自分たちの生活圏内にあるものを活かして有機栽培をしていて、すごく共感できたんです」。
そういった経験を経て、人の手による生産過程と消費が見える場所で働きたいと思った伊藤さんが、最終的にたどりついたのがクルックフィールズだった。
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