PUNK日本酒●「俺たちが飲みたい日本酒は違うんだよね」と名乗りを上げた若手醸造家たち。不要なルールは無視して、とにかく美味いこと最優先。その結果、日本酒の世界はここ10年で格段に進化した。そんな造り手たちが放つPUNKな日本酒をレコメンド。
「温故知新」を実践し、日本酒本来の美味さを最大限に引き出した男がいる。
「株式会社せんきん」の11代目蔵元・薄井一樹さんは、江戸時代の1806年から続く由緒正しき老舗蔵の跡継ぎでありながら、変化をまったく恐れない。また、元ソムリエという強みを活かし、ワイン哲学からインスパイアされた日本酒造りを実践するなど、ジャンルの垣根にこだわることもない。
そんな薄井さんが新たに造り直した日本酒「仙禽(せんきん)」は、白ワインのような甘さと酸味が特徴的で、その酒造りにはナチュール、ドメーヌというワインの発想も反映されている。
業界の反発を跳ね除けてブレイクし、数々のコンペティションで金賞を獲った仙禽は、一見、まったく新しい日本酒に見える。だが薄井さんに話を聞くと、むしろ仙禽が造る日本酒こそ“本来の日本酒”なのだと気づく。あなたもきっと、ひと口味わいたいと思わずにはいられないはずだ。
ハレーションを起こした「甘酸っぱい日本酒」
──薄井さんが甘酸っぱい日本酒「仙禽」を造ったのはなぜでしょう?もともと僕は、ワインに興味をもって、東京でワインの仕事をしていたのですが、ある日、先輩に連れて行ってもらった天ぷら屋さんで廣木酒造本店の「飛露喜」をひと口飲んだことがあって、その味わいに驚愕したんですよ。当時、実家で造っていた「仙禽」とはまったく違っていて。こんなに美味しい日本酒があるのか!と、本当に驚きましたね(笑)。
それからすぐ、ちょうど実家の経営状況が悪かったこともあって、実家に戻りました。2004年のことですね。そして、僕がワイン好きだったということもあって、今まで日本酒ではマイナス要素とされてきた“酸味”と甘味を特徴とした、新たな酒造りに転換していったんです。
──ソムリエの経験を日本酒造りに活かされたんですね。当時は、「甘酸っぱい日本酒」なんて毛嫌いされていたと思いますし、そもそもほとんど存在すらしていなかった。実際に周りからは「そんなの売れるわけがない!」と猛反発にもあいましたね。でも、発売してすぐに若い世代や、日本酒を苦手としていた女性たちを中心に良い反応をいただけて、新しい顧客が掴めたという実感がありました。
でも、アルザスやドイツのワインのような甘酸っぱさを感じる味わいというのは、料理との相性を考えれば非常にマッチすると思います。
新しい味と見なされることが多いのですが、実は日本酒は「機械工業品」ではなく、「伝統工芸品」だという原点に立ち返ったという意味では、僕の酒造りは基本に忠実なんですけどね。
──というと?昭和時代の流れで、大量消費用の日本酒ばかりが目立っていて、特に父の時代は伝統工芸ではなくて、とにかく機械工業になっていた。つまり、より安く米を仕入れて、たくさん売るという風潮があったんです。日本酒の原料である米自体も地元のものではなく、遠くの地域で生産された米を使用していました。
辿ってみれば、日清、日露戦争の頃などは、酒税は国税収入のかなり大きな割合を占めていたんです。国家にとって、酒蔵にどれだけ日本酒を大量に造らせて、それを国民にどれだけ消費させるかが国家にとっては大事だったんですよ。結果、効率ばかりが優先された日本酒の大量生産が国策として進められていきました。
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