アメリカで失われたコレクションを日本で蘇らせる
——アメリカで誕生したブランドを、日本で蘇らせるにあたりさまざまな苦労があったのでは?オリジナルの創設者が、一切資料を残していなかったんです。このブランドが’90年頃に姿を見せなくなり、情報はゼロ。ヴィンテージコレクターにして当社の代表である寺本欣児が復刻を実現させたのですが、現物を見て製作するしかない。そこで寺本が長年にわたり大量に収集してきたコレクションがサンプルになったわけです。
実際、オリジナルがいつからスタートしていたかも、ゴアテックス社の素材を採用した「ロッキーマウンテン フェザーベッド」製マウンテンパーカに付けたラベルの種類によって、なんとなく’60年代後半と判断しているだけ。ゴア社は年代によってタグのデザインが変わるから、という手がかりだけなんですよ。
——つまり、パターンはおろか、生地の組成も“謎”だったんですよね?もちろん! 看板といえるダウンベストの生地は、オリジナルの風合いを再現するため何度も試行錯誤してたどり着いた70Dナイロンタフタ。一般的なナイロンより打ち込み本数が多く高密度で、圧力と熱によって表面を滑らかにするシレー加工が施された素材となっています。コーティングしなくとも防水性があり通気度の高いナイロンなのですよ。ナイロンに通気度がないとダウンが膨らまないんです。
——「ロッキー マウンテン フェザーベッド」という商標の取得は順調に進んだのですか?’84年にオリジナルの商標は消失しており、日本では2005年に取得しましました。翌年にアジア圏とEU圏の取得ができたのですが、肝心のアメリカが困難でした。何しろアメリカ本国での小売り実績が証明できないと再獲得が無理なのです。
ですが、すでに自分たちは輸出を2006年から行っており、当地で取り扱ってくれていたロンハーマン、アメリカンラグ シー、ブルーミングデイルなどのショップや百貨店にお願いして売り場の写真を送ってもらい、なんとか取得することができました。
——ブランド復活直後から本国の有名セレクトショップが扱うほどだったようですね。1stプロダクトであるダウンベストをリリースし始めたのは2005年から。正直、出来映えに自信がなかったし、売り上げもイマイチでした。実は欧米ではブランドとしての認知が浅く、日本に至っては“新しいブランド”と捉えられてしまったんです。オリジナルの魅力を訴求し切れておらず、プロダクトとしての説得力が皆無だったのでしょうね。でも、そういう市場に救われて新しくスタートできたのも事実です。
3/3