うちの日本酒は、球速に例えるなら138kmだった
──「紀土」にそんな冬の時代があったとは……。お客さんは素直ですよ。当時、お客さんがうちの蔵に見学にきて日本酒を試飲すると、「うーん、まぁまぁ日本酒ってこんな感じ。美味しいですね」って一応は言ってくれるんですけど、梅酒を試飲した途端に、「わぁー、美味しい!!」って言うんです(笑)。声、全然違うやん!って(笑)。
──素直な反応ですね(笑)。特に初期の3年間はひどかった。良い米を買ってきて、良いとされている製法を試して、蔵人も寝ずの番をしてくれて……それでようやく完成した酒がまずいんですよ。毎年造ってはダメで。どんなにコストをかけてもまずいものは売れないから、パック酒にして売ってしまう。
毎年そんなことをするので、3年目には蔵人に「こんなことして、どうするんですか!?」って迫られてしまった。僕も「じゃあ、来年“そこそこ”だったら出すよ」と言っちゃって、もう1年頑張って造ってもらうことにしたんです。
──おおっ、それでついに!?それで出来た日本酒が、マジで“そこそこ”だったんです(笑)。出していいのか悩んだのですが、結果的にそれが初年度の「紀土」になったわけですね。
僕の青写真では、「あの『鶴梅』の酒蔵が満を持してこんなに素晴らしい日本酒を出してきたぞ!」って大騒ぎにしたかったんですけどね。ちょうどメジャーリーグの大谷翔平選手のような、打ってもすごいし投げてもすごいぞ、と。梅酒がホームランで日本酒は球速160kmかよ、みたいな。でも実際には138kmぐらいでしたね(笑)。
球速160kmの日本酒はどうやって完成したのか
──では、販売するのも苦渋の決断だったと。まず、特約店さんたちに謝りましたもん(笑)。「すみません。この日本酒は『紀土』っていう名前でして、『紀州の風土』という意味なんですけど、“キッド”なので『子供』っていう意味もあるんです。最初のお酒はこんな感じですが、これから育っていきたいと思っていますので、この歩みをみてください」という話をして、1軒1軒謝ってまわりました。
──思い通りにはいかないものですね。日本酒イベントで、ほかの良い酒蔵さんと一緒にブースを出店したこともあったのですが、ブルペンに立って157kmのピッチャーの隣で138kmの球を投げてるような感じでした。もう露骨に差が出ていましたね。俺のストレートの遅さよ(笑)。
──ミットから鳴る音が違いますもんね(笑)。帰りの山手線で、杜氏と「来年は絶対にあっと驚かせる酒、造ろうな。俺たち惨めやな」と話して帰りました。で、その翌年に造ったお酒が142km。やっぱり微妙〜!(笑)。ちょっと球速が上がってるけど、これだけでは打ちとれへんぞ、っていう速さです。
──そこからどう変わっていったんですか?6、7年すると、スタッフたちが安定してきたんですね。初期は僕自身の経営者としての力が弱かったんですよ。良い日本酒を造りたいという志はあるけど、メンバーから信頼されてなかったんです。社員が辞めていったり、日本酒を造るどころじゃない状況でした。
ただ、僕も少しずつ成長していくなかで社員が定着してくれて、「良いお酒を造りたいよね。自分たちの未来はここにしかないんだ」ということが共有できてきた。徐々に同じ目線で酒造りできる人が増えて、中堅の社員も一緒に新卒の社員を育てるという感覚を持ってくれた。
そんなときに、ようやく紀土という酒が輝き始めた。最近では160kmくらい出てるんじゃないかと思います。
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