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「アスリートの価値をもう1回自分で見直しました」巻誠一郎

ドイツワールドカップ出場を通して親交を深めた、世代も所属クラブもポジションも違う2人。当時はお互いをどんな目で見ていたのだろう。現役時代の思い出やプレースタイルからは、今も変わらない彼らの生き方が見えてきた。

福西 巻はずっと走っていた。それが相手に回すとすごくイヤで、逆にチームメイトだと助かった。とにかく諦めない、気持ちの強い選手だったね。
巻 福さんは、いつも余裕があって飄々としていて。「疲れた〜」とかすぐ言うんですけど、実は全然そんなことないんだろうなって思ってましたよ。
福西 早めに疲れたって言ってたから(笑)。
巻 プレーもそうですけど、器用ですよね。あとはやっぱり、福さんは兄貴肌。当時の代表チームって、テクニックがある選手しか認めないみたいな空気があったんです。でも、僕は選手としてできないことが多い、どちらかといえば特化したプレーヤー。そこを受け入れてくれる雰囲気が、福さんにはありました。
福西 それは、俺も巻と同じだったから。足元でのテクニックがないって相当言われたし。だからこそ自分だけの持ち味を活かして、足元は下手でも身体と頭を使って戦う。ほかに上手いやつはたくさんいたし、俺らにはそれしかなかったからね。
巻 そうやって言い続けてもらったおかげで、プレーがしやすくなりました。何事にも失敗を恐れなくなりましたね。
福西 代表って特に、失敗したらどうしようというプレッシャーが強いよね。ミスしたくないから、チャレンジしなくなる。その悪循環にはまらないようアドバイスはしたかな。

BMWというブランドにあぐらをかかず、新たな価値を開拓する「X」シリーズ。その精神とも重なるように、ミスを恐れず、チャレンジを続けた2人。引退を決意したのは、互いに30代。身体よりも頭で判断した結果、次なる未来が広がっていた。
福西さんは解説者としてサッカーの魅力を伝え、巻さんは医療や福祉、教育など幅広いフィールドで活躍している。
福西 引退当時も身体は比較的動いたし、さんざん悩んだけど、サッカー界も世代交代しなきゃいけないという波もきっかけにはなったのかな。
巻 僕も身体は動いたし、あと10年くらいできるつもりでいました。でも、プレーヤーとしての自分とそうじゃない自分を天秤にかけたとき、今現役を辞めたほうが社会にいろいろな貢献ができると思って決断しました。
福西 若い頃の巻は、それこそ倒れるまでサッカーを続けそうだったから、引退には驚いたよ。まさにサッカー小僧だったじゃん。年齢とともに考え方が変わった?

巻 ジェフを退団してロシアと中国に移籍しましたが、そこでの経験は大きかったですね。エージェントもつけずに単身で渡ったから、ひとりも知り合いがいないし、周りは誰も助けてくれない。
福西 その辛さって、本当に経験した当人にしかわからないと思う。
巻 いろんな経験を踏まえて、アスリートの価値ってなんだろうってもう一回自分で見直したんです。あとはやっぱり、熊本に帰って震災を経験してから意識が大きく変わりましたね。アスリートってピッチの中だけじゃなく外でも貢献ができる、役に立てるなって感じたんです。

福西 サッカーだけをしていたら、そこには気付けないかもしれないね。俺は現役時代には社会にそれほど触れていなかったから、辞めてからはひとまずピッチの外に出たくて。外の世界に触れながら、監督やコーチではなく、解説者としてサッカーに携わろうと。サッカー以外の多くの人と関わりながら、プレーじゃなく、喋ってサッカーを伝えようと思ったんだよね。
巻 福さんは、“喋る”イメージがなかった。それこそ意外でしたよ(笑)。
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