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2020.01.17

福西崇史と巻誠一郎。元サッカー日本代表のセカンドキャリアへの歩み

BMW X MODELS × OCEANS
「X(クロス)talk」

価値が交差するところに見えるもの vol.1
SUVを超えたSAV(スポーティ・アクティビティ・ビークル)。そう評されるBMWの「X」シリーズは、「Choose your world」をテーマに、ドライバーのアクティビティを引き出す走りとデザインで独自の価値を切り開く。そんな「X」シリーズは、同じく独自のチャレンジを続ける男たちにどう映るのか。それを探るX(クロス)トーク。第1回は、元サッカー日本代表の福西崇史さんと巻誠一郎さん。
プロサッカー選手のキャリアは、一般のビジネスパーソンと比べてあまりに短い。一部の例外を除き、ほとんどが40歳を前にスパイクを脱ぐ。
幼少期から慣れ親しんだピッチを離れることは、セカンドキャリアとの直面を意味し、それは当然、現役時代に日本代表として活躍したようなトッププレーヤーも同様だ。

福西崇史×巻誠一郎


[左]福西崇史(ふくにしたかし)
1976年生まれ、愛媛県出身。ボランチとして恵まれた体格と高いサッカーIQ、激しいプレーを持ち味に、多くのスターを擁する当時のジュビロ磐田にあってデビューイヤーから活躍。日本代表としても日韓とドイツワールドカップのメンバーに連続選出され、引退後はTVや雑誌でサッカー解説者として活動しながら、2018年にはアマチュアサッカークラブ「南葛SC」で現役復帰。同クラブの監督も務めた。
[右]巻誠一郎(まきせいいちろう)
1980年生まれ、熊本県出身。駒沢大学を卒業後にジェフユナイテッド市原に加入。同年に監督に就任したイビチャ・オシム氏から薫陶を受けた“走るストライカー”は、2006年のドイツワールドカップでも日本代表に選出された。以降、海外リーグでもプレーし、’14年からは地元のロアッソ熊本へ移籍。’18年をもって現役引退を発表した。現在は社会貢献とサッカー界への還元を軸に、さまざまな事業に取り組んでいる。

 
ドイツワールドカップ日本代表でともに戦った2人、福西さんと巻さんはそれぞれ32歳、38歳で現役を退いている。そして今、自分だけの新しい生き方を描いている。お互いに、サッカーへの消えない情熱を胸に秘めながら。

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「アスリートの価値をもう1回自分で見直しました」巻誠一郎

ドイツワールドカップ出場を通して親交を深めた、世代も所属クラブもポジションも違う2人。当時はお互いをどんな目で見ていたのだろう。現役時代の思い出やプレースタイルからは、今も変わらない彼らの生き方が見えてきた。

福西 巻はずっと走っていた。それが相手に回すとすごくイヤで、逆にチームメイトだと助かった。とにかく諦めない、気持ちの強い選手だったね。
巻 福さんは、いつも余裕があって飄々としていて。「疲れた〜」とかすぐ言うんですけど、実は全然そんなことないんだろうなって思ってましたよ。
福西 早めに疲れたって言ってたから(笑)。
巻 プレーもそうですけど、器用ですよね。あとはやっぱり、福さんは兄貴肌。当時の代表チームって、テクニックがある選手しか認めないみたいな空気があったんです。でも、僕は選手としてできないことが多い、どちらかといえば特化したプレーヤー。そこを受け入れてくれる雰囲気が、福さんにはありました。
福西 それは、俺も巻と同じだったから。足元でのテクニックがないって相当言われたし。だからこそ自分だけの持ち味を活かして、足元は下手でも身体と頭を使って戦う。ほかに上手いやつはたくさんいたし、俺らにはそれしかなかったからね。
巻 そうやって言い続けてもらったおかげで、プレーがしやすくなりました。何事にも失敗を恐れなくなりましたね。
福西 代表って特に、失敗したらどうしようというプレッシャーが強いよね。ミスしたくないから、チャレンジしなくなる。その悪循環にはまらないようアドバイスはしたかな。

BMWというブランドにあぐらをかかず、新たな価値を開拓する「X」シリーズ。その精神とも重なるように、ミスを恐れず、チャレンジを続けた2人。引退を決意したのは、互いに30代。身体よりも頭で判断した結果、次なる未来が広がっていた。
福西さんは解説者としてサッカーの魅力を伝え、巻さんは医療や福祉、教育など幅広いフィールドで活躍している。
福西 引退当時も身体は比較的動いたし、さんざん悩んだけど、サッカー界も世代交代しなきゃいけないという波もきっかけにはなったのかな。
巻 僕も身体は動いたし、あと10年くらいできるつもりでいました。でも、プレーヤーとしての自分とそうじゃない自分を天秤にかけたとき、今現役を辞めたほうが社会にいろいろな貢献ができると思って決断しました。
福西 若い頃の巻は、それこそ倒れるまでサッカーを続けそうだったから、引退には驚いたよ。まさにサッカー小僧だったじゃん。年齢とともに考え方が変わった?

巻 ジェフを退団してロシアと中国に移籍しましたが、そこでの経験は大きかったですね。エージェントもつけずに単身で渡ったから、ひとりも知り合いがいないし、周りは誰も助けてくれない。
福西 その辛さって、本当に経験した当人にしかわからないと思う。
巻 いろんな経験を踏まえて、アスリートの価値ってなんだろうってもう一回自分で見直したんです。あとはやっぱり、熊本に帰って震災を経験してから意識が大きく変わりましたね。アスリートってピッチの中だけじゃなく外でも貢献ができる、役に立てるなって感じたんです。

福西 サッカーだけをしていたら、そこには気付けないかもしれないね。俺は現役時代には社会にそれほど触れていなかったから、辞めてからはひとまずピッチの外に出たくて。外の世界に触れながら、監督やコーチではなく、解説者としてサッカーに携わろうと。サッカー以外の多くの人と関わりながら、プレーじゃなく、喋ってサッカーを伝えようと思ったんだよね。
巻 福さんは、“喋る”イメージがなかった。それこそ意外でしたよ(笑)。
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