近頃、クリエイティブな人たちの間で何かと話題になっているバンドがある。ROTH BART BARON(ロット バルト バロン)——三船雅也(ヴォーカル&ギター、作詞・作曲)と中原鉄也(ドラムス)の2人を中心としたユニットだ。
三船と中原の2人は中学校からの同級生で、人生の半分以上をともに過ごす仲。気心知れた友達同士だからこそ、プロとして音楽をやっていくことには人知れぬジレンマや苦労もあるに違いない。そう思って設定した「差し向かい対談」。出会いからバンド結成、そして現在までの歩みを辿るうち、驚きの告白も飛び出ることにーー。
部活の相棒から人生のパートナーへ
ーー2人はもともと中学の同級生で、部活も一緒だったんですよね。三船 はい。テニス部でペア組んでました。
中原 最初はクラスも同じだったけど、部活に入ってから親密になった感じですね。
三船 クラスで会って、部活で会って、休みの日も中原くんちでゲームやったりして遊んで。中学のときは常に一緒にいましたね。
ーーそこからどうやって「バンドやろうぜ」ってなったんですか?三船 中学を卒業して、お互い違う高校に行ったんですけど、僕は高校を中退して引きこもり生活に入ったんです。自宅で誰にも会わず、ずっとひとりで音楽を作ってたんですけど、20歳くらいのときかな、なんかのきっかけで中原くんに再会して。中原くんは高校時代の同級生とバンド組んでいてドラムやってたんですね。そこで「お前も音楽やってんの?」って盛り上がって、そこからまた一緒に遊ぶようになったんです。
中原 そう、それで当時僕がやってたバンドに三船を呼んだんですよ。スタジオに遊びに来れば? みたいな感じで。
三船 その頃は僕も引きこもりを脱してリハビリし始めてたときで。音楽の知識はあるけど経験はないから、人とやってみるのも面白そうだなと思って、彼のバンドのスタジオ練習に行ったら、メンバー同士が取っ組み合いのケンカを始めて、結局ベースの人が辞めることになったんです。で、『三船、代わりにベース弾いてくれない?』って言われて加入することになった(笑)。
中原 (笑)当時はボーカルの子が書いたオリジナル曲と、ブルーハーツとかミッシェル・ガン・エレファントとかのコピーをやってたんですけど、三船が入ってからは、やる曲も変わっていきました。
三船 僕が引きこもってた3年間で聴いてたのは古い音楽ばかりでしたから。ビートルズとかビーチ・ボーイズとか、60年代、70年代を掘りまくってたから。ベースもミッシェルにならずに若干ポール(・マッカートニー)風になるんですよ(笑)。
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