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そして、身体に記憶されたそのエクスペリエンスを求め、またサウナエクスペリエンスを渇望し、次のフィンランド旅行を企画したくなる。これぞまさに旅行者をとりこにする究極の“コト消費”ではないだろうか。
サウナフォーラムでは、流暢なフィンランド語を操る日本人女性に出会った。フィンランド在住のメディアコーディネーター、こばやしあやなさん。2011年に現地の大学院に留学し、修士論文「現代の社会における公衆サウナの意義 2010年代にヘルシンキで実現した公衆サウナ・プロジェクトのコンセプト分析に基づいて」を執筆し、今なぜ公衆サウナが人気なのかを分析したところ、現地でも公衆サウナに注目が集まるきっかけにもなったそうだ。
こばやしさんは、フィンランドの公衆サウナと日本の銭湯の類似性に着目し、公衆サウナの再興の理由を解明することが、今廃れゆく日本の銭湯文化の救済につながるのではないかと考えている。「銭湯は、地元の人や日本人だけが使って再興させればいいわけではなく、インバウンドの外国人をどうやって振り向かせていくかという意味では、大きな可能性がある魅力的な空間」と話す。

日本には「寛容さ」が足りない

そのうえで、日本が参考にすべき点を尋ねると、「外国人は異なる文化的背景を持った人たちなので、日本人が決めた当たり前のことを必ずやってくれるとは限らない。そこで私たち日本人は、寛容さを持つことが大事。正直に言うと、今、日本人にいちばん足りないのは、寛容さ。つまり、私たちみんな一人ひとりが違う人間で、違う人間が同じ場所で何かをするときに、自分との違いをどう認めてあげるのか、許してあげるのか、ということが大事だと思う」という答えが返ってきた。
フィンランドはどこへ行ってもルールが書かれていることがほとんどない一方で、日本社会は銭湯に限らず、一生懸命ルールを作り、それを破らないように雰囲気を統制していく傾向があると、こばやしさんは指摘。明らかに迷惑なルール違反があれば誰かが優しく注意はするが、基本的にはどんな違いを持った人でもそれぞれが認め合い、その空間で楽しめるような社会がフィンランドだという。
フィンランドに来た日本人は「フィンランドは心が豊かな国」と口をそろえて言うそうだ。筆者自身も同感だが、さらに具体的に言うと、他人を信頼する心に驚くばかりだった。電車の駅に改札は存在せず、切符はアプリで各自が購入するが市内の交通機関では切符を確認されることはない。ホテルの朝食も、部屋のカードキーを見せて宿泊客であることを証明する必要もない。
公共図書館では、日本のメディアだけど撮影許可がほしいと尋ねると「ここは公共の場所だから、みんなのものです。どうぞ自由に撮影してください。プライバシーにだけ配慮してくださいね」と、あまりの寛容ぶりに唖然とすらしたものだ。
サウナで真っ裸という無防備な姿で他人と交流する文化が、人を信頼し、他人を不快にさせないよう慮って行動する国民性を作るのだろうか。その因果関係は当然知る由もないが、このフィンランドの国民性こそが真の“ととのった”心のような気がしてならなかった。
 
桑原りさ:キャスター
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記事提供:東洋経済ONLINE


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