【前編】を読む
レンタルビデオ店でのフリーター時代を経て、ロースクール入学、さらに司法試験に一発合格を果たし、“日本一稼ぐ”弁護士にまでなった福永活也さん(38歳)。
「司法試験一発合格」という奇跡について触れると、ロースクール時代、「司法試験は難しいからあんな優秀な人でも落ちた。それだけ司法試験は難しいんだよ」と盛んに言われることにウンザリしていた、と笑った。
「たかが資格試験で落ちた人が優秀なはずがないと思っていました。落ちた現実を試験の難易度のせいにするのは謙虚さが足りないだけ。これって何にでも言えることです。政治が悪い、社会のせいだ、制度のせいだと言っていたら、人生よくなるはずがない。自分の力ではおよそ動かせないものに文句を言っても何も変わらないので、唯一コントロールできる自分自身を変えていくかなんですよね」。
自分がコントロールした結果で人生は変わる。強靭なメンタルを持つ福永さんがたった一回で司法試験に合格したのは必然だった。
日本一稼ぐ弁護士になるまで
27歳で東京の弁護士事務所に就職。新人の頃はとにかく人より多く仕事をすることを心がけたという。
「毎日いかに自分の仕事を少なく見せるかに注力していました。日々の業務時間をできるだけ少なめに申告して、『忙しい』と一度も言わないことにしたんです。そうすれば『手が空いてそうだからこれも任せよう』となり、結果的に多くの仕事を自分のものにできる」。
3年間一度も「忙しい」と言わないことを自らに課し、可能な限りの案件を詰めこんだ。そうやって先輩の仕事を自然と奪っていくことが、自身の裁量を増やすことにも繫がるからだ。とはいえ、福永さんが短期間で日本一稼げるようになったのはなぜなのか?
「世の中に必要とされている弁護士業務の大半は、大した専門性は必要ではなく、誰がやっても大して差は出ないものが多い。だから専門性とかスキルじゃなくて、とにかく覚悟を持って、必死に案件をこなしていくというサービスの基本を大事にすることです。スピードを速くするとかお客さんと情熱を共有するとか、誰でもできることをしっかりやることが大切なんですよ」。
若いうちは知識も経験も先輩にはかなわない。そのなかで自分にできるのは、基本を大事にすることだけだった。気づくと福永さんは事務所内では同期の中でも多くの案件をこなせるようになっていた。そして弁護士になって5年目、32歳にして独立した。
「世間の評価を気にせず、自分がオールインワンで力を注ぐことをテーマ設定できていれば、野球も弁護士業務も何でも楽しい。それは自分の目的と今やっていることが一致しているから。楽しんだもん勝ちなんです」。
目指すところをハッキリさせ、今を楽しもうとする姿勢を徹底するだけで人生は開けていく。だからこそ、今が楽しくない人は、テーマ設定が定まっていないのではないかと福永さんは考えている。
「時間は限られているし、好きでもない分野に万遍なく手を出して60%の知識を得るより、偏っていると人から言われてでも『このテーマだけは負けない』というジャンルを突き詰めていくほうが楽しいと思います」。
そして、福永さんはオールインワンで取り組んできた法律業を徐々に落ち着かせていく一方で、今は“冒険家”としての道を歩み始めた。
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