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2019.11.05

ライフ

バスキアとゴッホを撮った男・ジュリアン・シュナーベルが語る2人のこと

知らなきゃ男が廃るが、知ってりゃ上がる。気にするべきは、顔のシワより脳のシワ。知的好奇心をあらゆる方向から刺激する、カルチャークロスインタビュー。
ジュリアン・シュナーベル 『バスキア』(’96年)で映画監督デビュー。『夜になるまえに』(2000年)、『潜水服は蝶の夢を見る』(’07年)など、これまで6本の映画を手掛ける。
1951年、米国ニューヨーク生まれ。1980年代に現代美術の様式のひとつである新表現主義を代表する画家へ。『バスキア』(’96年)で映画監督デビュー。『夜になるまえに』(2000年)、『潜水服は蝶の夢を見る』(’07年)など、これまで6本の映画を手掛ける。
大きく描かれた「目を持たない少女」が、大きな体躯を包んでいる。その少女の絵は自身の代表作。黒いパーカを着て現れたジュリアン・シュナーベルは、「私は画家だから、画家のことは少しわかるんだ」と言って話を始めた。
シュナーベルはこれまで2人の画家を映画の題材にしている。デビュー作になった『バスキア』と、新作『永遠の門 ゴッホの見た未来』だ。
「ニューヨークを活動の場としたバスキアの頭の中には、とても都会的な光景があった。そして彼は詩人。言葉があり、そこにキャラクターが備わるピクトグラフが彼の絵だ。一方のゴッホは自然を求め、パリを離れて南仏アルルを目指した。豊かな自然の中に暮らし、自然と恋をするように作品を残していったんだ。互いの方向性は違うが、無名の天才を扱ったという意味では2つの作品は似ているのかもしれないね」。
バスキアとは彼の生前に親交があったが、19世紀に生きたゴッホとは言葉を交わすことすらできない。手紙などの資料に目を通しながら、画家としての才能を活かしてゴッホの人生を独自に解釈し、史実に沿った自伝ではなく一人称で仕上げた。何より、他の人には見えず、ゴッホだから見えていたとする、スクリーンに映し出された光景が美しい。
「アルルの自然は私たち撮影チームの助手だったね。欲しいときに雨が降り、風はそよぎ、光も素晴らしかった。あの絵はゴッホが現実に暮らしたロケーションだったからこそ撮れた。太陽も風も木も葉も、この映画のキャストだということだ」。
そこに芸術家としてのリリカルな感性が加わる。逆光を使ってロマンティックなムードを醸し、大部分を手持ちカメラで撮ることでゴッホの息づかいを表現した。劇中で「絵を描かなければ死ぬ」という独白が示す生き様を、美しく描き出した。
思えば、シュナーベル作品に登場する主人公は、いつも自身の情熱に忠実な美しい生き様を見せる。描くことに人生を捧げたバスキアやゴッホ。脳溢血から左目のまぶた以外の運動機能を失うも、まばたきだけで言葉を紡ぐことを覚え自伝を書いたジャン=ドミニック・ボービー。フィデル・カストロの政権下、過酷な弾圧を受けながら執筆を続けたレイナルド・アレナスー。
「生きるとは何か。それが映画制作における私の命題なのだ」。
そういうシュナーベルは本作でゴッホの人生を追体験し、その生き様を「目を持たない少女」がイノセンスさを礼賛するかのごとく純真に描いた。そしてその様子を伝える本編は、ゴッホの絵のごとくこの世の美しさを伝えるものとなっていた。
『永遠の門 ゴッホの見た未来』
生前は1枚しか絵が売れなかったフィンセント・ファン・ゴッホの晩年を描く。『永遠の門 ゴッホの見た未来』
© Walk Home Productions LLC 2018
監督:ジュリアン・シュナーベル/出演:ウィレム・デフォー、ルパート・フレンド、マッツ・ミケルセン、オスカー・アイザック、マチュー・アマルリック、エマニュエル・セニエほか/配給:ギャガ、松竹/11月8日(金)より新宿ピカデリーほかにて全国ロードショー https://gaga.ne.jp/gogh
生前は1枚しか絵が売れなかったフィンセント・ファン・ゴッホの晩年を描く。南仏アルルへ向かうところから物語は始まり、ゴッホが見ていた景色を、同じく画家のジュリアン・シュナーベルが映し出す。
>「狂気と情熱の天才画家、ゴッホのアラフォー時代」はコチラ。
横山泰介=写真 小山内 隆=取材・文


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