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NBAへの感動を、大人になっても持ち続けた。(c)小林靖
そうした「衝撃や感動」に巡り合えず、大人になってしまう人もいるかもしれません。しかし僕は、NBAに心底から感動し、それに対する情熱を大人になるまで持ち続けられたのです。これは本当に幸運なことだったと思います。
小学生だった僕が好きだった選手は、レイカーズのコービー・ブライアントとシャキール・オニールでした。ダラス・マーベリックスに所属していたドイツ出身のダーク・ノビツキーのプレーにも魅了されたのを覚えています。
「いつか、同じコートに立ってプレーしてみたい……」。彼らのプレーをテレビで見ながら、僕はそう思うようになっていました。
小学生のときに抱いたこの夢は、中学生、高校生になっても変わりませんでした。その夢をつねに胸のなかで温め続け、日々の練習に取り組んでいったのです。
バスケットボールへの情熱が継続したのは、「好き」という気持ちがあったからにほかなりません。何かを継続するには、自発的な気持ちがないと、いつか必ず行き詰まってしまいます。
我慢しながらどうにか続けるというケースもあるかもしれませんが、情熱はかなり冷めているはずです。こうなると、「楽しい」という感情はなかなか起きないでしょう。
小学生でバスケットボールを始めてから、練習中心の生活を送っています。それはいまも変わりません。そんな僕を見た人はよく、「いつも努力しているね」と言ったりします。
ですが僕は、これまで「努力している」と思ったことはありません。バスケットボールが好きでたまらず、さらにうまくなりたいから、いくら練習してもつらくないのです。周りから見たら「努力している」と映るかもしれませんが、僕にとっては単に好きだからやっているにすぎません。
大切なのは、情熱を注げる対象を見つけられるかどうか。それができれば、いつまでも情熱を持ち続けられるのです。

大切な決断をするときに重要なこと

小学1年生のときからスタートした僕のバスケットボール人生で、いちばん悩んだのは、高校卒業後、渡米をするかどうかの判断です。これについては、当時、いくら考えても答えがなかなか見つからず、困惑する日々が続きました。
僕の希望は、大学に進学してバスケットボールを続けることです。しかし、「どこの大学でプレーするか」がなかなか決まりません。日本の大学に行くべきか、それともアメリカの大学に進むべきか――この2つの選択肢の間を僕は行ったり来たりしていたのです。
高校2年生の終わり頃までは、アメリカの大学に行くことなどまったく考えていませんでした。ところが、ウインターカップで準優勝し、多くの人が僕のプレーを評価してくれるようになると、「アメリカでもやっていけるのではないか」という声が聞こえてきたのです。


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