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“フランスのなかの日本”を求めて南仏アルルへ

無名で貧乏だった画家たちの世話をしていた画材店の店主ジュリアン・タンギーの肖像画。絵の具代金が払えない代わりに、ゴッホは店主の肖像画を描いて渡していたが、この後に描いた2枚目、3枚目の肖像画には、タンギー氏の背後に浮世絵が大胆に描かれている。ゴッホ、33歳の作品。『タンギー爺さんの肖像』。1887年1月 油彩、カンヴァス 45.5×34cm ニュ・カールスベア美術館 © Ny Carlsberg Glyptotek, Copenhagen Photo: Ole Haupt
弟から資金援助を受け続けていたゴッホだったが、絵は依然として売れる気配すらなく、テオの金は絵の具と酒に変わってゆくだけだった。
ゴッホが描く絵の価値をもっとも理解し、もっとも高く評価していたテオ。経済的にも精神的にも兄を支え続けたが、それもそろそろ限界に差し掛かっていた。強い兄弟愛で繋がりながらも消耗したふたりは、いつしか互いを傷つけ合い、喧嘩の絶えない関係となっていた。
「このままでは自分自身だけでなく、テオをも追い詰めることになる」。
テオの足かせになることを恐れたゴッホは、2年間の同居生活にピリオドを打ち、南仏の街アルルへの移住を決めた。ゴッホ、34歳のときだった。
アルルを選んだ理由は、わずかながらパリよりも日本に距離的に近いこと、そしてアルルの風景がゴッホの空想世界の日本の姿と重なっていたことなどが挙げられる。初日に降った雪を見たゴッホは、「まるで日本人の画家たちが描いた冬景色のようだ」と感動をあらわにした。
すぐに画家仲間にもその感動を手紙に綴った。
「この土地の空気は澄んでいて、明るい色彩の印象は日本を思わせる。水が美しいエメラルド色の斑紋をなして、まるでクレポン(浮世絵の縮緬絵)に見るような豊かな青を風景に添えている」。
アルル移住の年に描いた作品『麦畑』。黄色く燃えるような小麦畑が見渡す限りに広がる。画面のおよそ3分の2を畑が占め、豊かに実った小麦が放つ強烈な黄色が描かれている。ゴッホは常に黄色というカラーを生命や太陽、愛などを象徴するエネルギッシュな色として捉えていた。ゴッホ、35歳の作品。1888年6月 油彩、カンヴァス 50×61cm P. & N. デ・ブール財団© P. & N. de Boer Foundation
離ればなれにはなったが、ゴッホはテオに、毎日のように手紙を送り続けた。
「日本に行かないならどうするか。日本と同じようなところ、南(フランス)だろうか? 僕は新しい芸術は結局のところ、どうしたって南にあると思っている」。
「もっと陽気で幸せにならなければ、日本美術を研究することはできないだろう。日本美術は、因習にとらわれた教育や仕事から僕たちを解き放ち、自然へと回帰させてくれるんだ」。
ついに理想郷を見つけたゴッホ。この地でいよいよ才能を開花させてゆくが、鋭さを増す筆とは対称的に、彼の人生は着実に破滅へと歩を進めてゆくのであった。
後編へ続く。
[イベント詳細]
「ゴッホ展」
東京会場
期間:2019年10月11日(金)~2020年1月13日(月祝)
会場:上野の森美術館
開館時間:9:30~17:00(金、土曜20:00まで)
休館日:12月31日、1月1日
料金:一般 1800円 / 大学・専門学校・高校生 1600円 / 中・小学生1000円
兵庫会場
会期:2020年1月25日(土)~3月29日(日)
会場:兵庫県立美術館
開館時間:10:00~18:00(金、土曜20:00まで)
休館日:月(祝祭日の場合は開館、翌火休館)
料金:一般 1700円 / 大学生 1300円 /70歳以上 850円 / 高校生以下無料
参考資料
原田マハ『ゴッホのあしあと 日本に憧れ続けた画家の生涯』(幻冬舎新書)
原田マハ『たゆたえども沈まず』(幻冬舎)
『日経おとなのOFF』2019年6月号(日経BP)

ぎぎまき=文


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