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価格高騰するヴィンテージジーンズとハードアメカジの台頭

しかし前述のとおり、当時の501は普通の高校生のお小遣いで買える価格だったので、この頃になると周りと差がつけられないアイテムになってしまった。で、渋カジのファッションリーダーたちが目を付けたのが、ヴィンテージの501。
この頃になると、中目黒の「デラウェア」、原宿の「フェイクα」「ヴォイス」「バナナボート」、渋谷の「メトロゴールド」などがヴィンテージの古着を集積するようになり、渋カジ君を惹きつけた。といっても価格はまだ平和なもので、チェックメイトは1990年4月号で「決定版ユーズドジーンズ大百科」には、50年代のギャラ入りのリーバイス501XXが1万4800円で掲載されている。
しかし90年の夏頃から、ヴィンテージジーンズの価格は一気に高騰する。501XXも5万円を超える価格が当たり前になり、物によっては10万円を超えるものも出てきた。時代はバブル景気の最中だったので、多くの普通の高校生には手が出ないものになってしまった。
そんな彼らがヴィンテージの501の次に目を付けたのが、70年代に一世を風靡したベルボトムとブーツカットのデッドストック。リーバイス517とリーバイス646を筆頭に、リー、ラングラー、マニアックなところではランドラバー、UFOなどのブランドで、ジーンズショップの倉庫には70年代のデッドストックが大量に眠っていた。
1万円以下で買えるものがほとんどで、なおかつストレートの501よりブーツの収まり方が自然だったことから、90年秋頃から91年夏頃にかけて爆発的にヒット。典型的なスタイルは、タンクトップの上にバンソンのレザージャケット(TJPかRJP)を羽織って、首元にゴローズのネイティブジュエリーを付け、ボトムスはリーバイス646にレッド・ウィングのエンジニアブーツ。裾は切らずに、引きずってはくのがお約束だった。彼らのスタイルは、ハードボイルドなアメカジということで“ハードアメカジ”と呼ばれた。
90年代に入ってからはネイティブアクセやコンチョを使ったウエスタン調のアメカジが流行に。足元のレッド・ウィングは定番となっていた。


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