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501、レッド・ウィング、ヘインズという三種の神器

しかし、渋谷に集まる有名私立高校生は、まったく違うジーンズをはいていた。アメリカの不良同士の抗争を描いた映画『ウォリアーズ』と『アウトサイダー』に影響を受けた彼らは、85年頃から仲間内でチームと呼ばれる集団を組むようになった。彼らのアメカジをベースにしたファッションは、88年頃に渋カジと呼ばれるようになり、東京での存在感を高めていた。
この頃に彼らがはいていたジーンズは、アメリカ製のリーバイス501。現在は赤耳ではないレギュラーのアメリカ製501も高騰し始めているが、当時、アメ横のヤヨイなどでは5000円ほどで売っていた。
洗いのかけてない生デニムの501にレッド・ウィングのエンジニアブーツ、ヘインズの3枚パックの白Tシャツを合わせるのが定番のスタイリングで、冬はアヴィレックスかショットのB-3を羽織れば一丁上がり! こうして文字にすると驚くほどシンプルなファッションだが、デザインの主張が強かったDCブランドやケミカルジョッパーに対するカウンターカルチャーとして、大きな破壊力があった。
89年に入ると、雑誌「ポパイ」「ホットドッグ・プレス」「チェックメイト」などが渋カジのムーブメントを特集するようになり、都内私立高校生のみが特権的な情報が全国に伝わった。
当時はインターネットもガラケーもない時代で、雑誌は最も鮮度の高い情報の伝達媒体だった。若者の多くが学外の教科書のように読んでいた「ホットドッグ・プレス」は80万部を超え、「ポパイ」も30万部を超えていた。
やがて見よう見まねで真似した“なんちゃって渋カジ君”が渋谷に集まるようになり、リーバイス501は飛ぶように売れ始めた。ケミカルジョッパーは流行遅れの烙印を押され、はいていると笑われる存在に成り下がってしまった。


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