「寝れないくらいのワクワク、それがずっと続く感じ」
そんな天野さんは、前職・川崎フロンターレではスタジアムでのイベントや、試合以外の地域との密着を高める活動など、ファンサービスの企画職に従事していた。
「転身してから2年半が経ちましたが、間違いなくその経験が活きていると思います。川崎をどう豊かに、元気に、ワクワクさせていくかということをやっていましたから、今とやっていることは変わっていません」。
フロンターレには1997年(当時はJリーグ入りを目指すJFLのクラブだった)に入社した天野さん。以来サッカーの世界で生きてきたが、実は、さらに遡ると1996年には、アトランタオリンピック・パラリンピックのボランティアとして活動していたという。
「実はアメリカに留学していた学生時代、たまたまアトランタ大会でボランティアをする機会がありました。
ボランティアは開会式のリハーサルに招待されるんですよ。リハー サルからセリーヌ・ディオンが登場するなど、本番同様に開会式の演出を間近で観ることができて、それが一生の記憶に残るほどのインパクトでしたね。
会期中は、アトランタから車で1時間ほどの場所にあるアセンズという街で、サッカー競技会場の案内誘導ボランティアをしました。アセンズの街も、大会中はずーっとお祭りのようなソワソワ・ワクワクした空気で、経験したことのない高揚感でした。
スポーツの祭典でありながらも、世界最大のお祭りの中にエンタメがあったり、技術があったり。時間もわからなくなるし、高揚感から眠くなくなるし、寝るのがもったいないという感じになります」と振り返る天野さん。
東京2020大会での注目競技を聞いてみると、この点も当時の観戦の記憶が大きいようで「当時、現地で観て衝撃を受けたのが、視覚障がい者だけで行われるパラリンピックの柔道です」という。
「まるで時代劇の剣豪同士の決闘の世界といいますか……シーンと静まり返った会場の中で、ほんの少しのピクッとした動きや音に反応して一瞬でパーンと一本をとったりする。オリンピック競技では味わえない世界があります。あの凄みは、本当に多くの人に会場で観てもらいたいなと思います」。
「だから、東京も絶対そうなるためにできることをやりたいと思っています。競技が安心・安全に進むのはもちろん絶対のこととして、プラス、一生の記憶に残る、その人の人生が変わるような何かが残せたら、それこそ“イノベーション”ですね(笑)」。
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