誰かの「ヒーロー」になることの喜び
戦隊ヒーロードラマは、いまや若手俳優の登竜門となっている。2002年、26歳で『ハリケンジャー』のレギュラー出演という大役を掴んだ白川さんは、そこで誰かのヒーローとなる喜びを知った。
「『ハリケンジャー』出演後は、どれだけオーディションに受からなくても、もう芸能界を辞めようと思うことはなかった」。
戦隊ヒーローという誰かにとっての眩しい存在でいることは、白川さん自身の気持ちも律していたのかもしれない。それは現在、ご婦人たちのアイドルとして求められるものを完璧にこなす姿にも繫がっている。しかし、そこからなぜムード歌謡の歌手に転身することになったのだろう。
「30歳のときに(『純烈』リーダーの)酒井から、メンバーになる話をもらって、そのときは正直ピンと来てなかったんです。でもムード歌謡ならお母ちゃんも喜ぶし、紅白出場が決まれば最大の親孝行だぞと口説き落とされました」。
白川さんがここまで母親の存在にこだわるのには理由がある。
「僕は母が40歳のときの子供で、おまけに母子家庭。女手ひとつで大事に育ててくれたにも関わらず、20代は無茶ばかりして心配をかけました。だからこそ恩返しはずっと僕のテーマでもあるんです」。
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