「力士」としての挫折
大相撲・朝日山部屋に入門し、初土俵を踏んだのは18歳の頃。力士を目指したキッカケは「親孝行」だったという。
「柔道の道場に通っていたときに、併設された治療院でスカウトされたんです。相撲はちびっこ相撲を何度かやった程度でしたが、勝ったときに大きなスイカをもらえた印象が忘れられなくて(笑)。いいイメージがあったし、力士になれば母も喜ぶんじゃないかと思いました」。
当時の身長は182cm。細身ではあったものの高校生として目立つ体躯だったことは間違いない。高校卒業と同時に入門を決めた白川さんだが、その後はケガに悩まされ、1年で引退となった。そこから俳優の道に進んだのはなぜだったのか。
「目標を見失っていた僕を見かねたのか、お母ちゃんが書類を送ったのが古谷一行さんや仲代達矢さんなど錚々たるメンバーを輩出した『劇団俳優座』でした。21、22歳のときかな。100人受けて1人受かるような倍率で、合格できたのはうれしかった」。
芸能界入りのキッカケは母がくれたものだった。しかしその後は、俳優座をクビになったり、所属事務所をクビになったり……と、なかなか居場所を見つけることができないままでいた。
「全然仕事も決まらないし、俳優だけじゃ食べていけないから、オーディションすっぽかしてリゾートバイトに行ったり好き勝手してた。そりゃクビになりますよね(笑)」。
その後、新たな事務所に入っても鳴かず飛ばずの日々が続いた。転機となったのは、特撮ドラマ『忍風戦隊ハリケンジャー』だ。
「これがダメだったらもう芸能界は引退しようと思って受けたのが、ハリケンジャーです。僕の存在を誰も知らない時間が長すぎて、必要とされていないなと感じていました。でも出演が決まって、ああ、まだこの場に居てもいいんだと安心したのを覚えています」。
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