OCEANS

SHARE

「古楽」はヒッピーカルチャーと仲良しだった!?

「古楽」というカテゴリーが芽生えて、まだ50年ほどだという。50年前といえば1970年代頃だ。フォーク音楽やヒッピーカルチャーが全盛だった。柴田さんは「古楽」奏者にはヒッピー文化のバックグラウンドやヒッピー的志向の人が多いという。

柴田 ベルギー、オランダは有名な古楽演奏家を多く輩出しました。ヒッピー文化に大きく影響された家系の人も多く、要は「既存概念を一旦疑う」という姿勢がヒッピー的なものの考え方に通じているように思うのです。
—「古楽」の基本とはどういうものなのでしょうか?
柴田 古典音楽(クラシック音楽)の場合、あくまでも作曲家の楽譜をどう読んでいくか、どう再現していくか、というところにひとつの視点があります。作曲家があって、そして演奏家がいる。
ところが今の古楽は、作曲の意図を汲みながらも、演奏家のフィルターを大切にし、楽譜にある音を再現していくというよりは、演奏家の裁量で音楽を作り上げようという考えがあるのです。
古楽器奏者には、くたくたのジーンズなど、自由な服装で演奏している人たちもいて、いわゆる燕尾服のクラシック音楽家とは違ってみえます。生活自体に演奏活動が組み込まれている。自然体な生活の一部として演奏があるのです。
—「古楽」の時代の音楽とは、どのように演奏されていたのですか?
柴田 18世紀以前の音楽家は、マルチに活動していたようです。演奏家であり、作曲家、楽器も作る、といった人たちが多くいたわけです。

「昔はどんな楽器だったのか、演奏の仕方はどのようであったのか?」と古楽演奏家は考えます。300年以上前の演奏方法、楽器、音はどういうものだったのだろう、という視点、既成概念化されたクラシック音楽と、それ以前の音楽は違うのではないか、という疑問や思いが「古楽」のムーブメントであり、ヒッピー的な「既成概念を疑う」姿勢とオーバーラップするのです。
幸い、自由な空気が溢れていた70年代には四角四面なカテゴリー分けはなく、新しい「古楽」演奏者と燕尾服の「古典」音楽家の間にも自由に行き来できる雰囲気があり、それが70年代以降「古楽」が広まってきた状況を作ったのです。


3/4

次の記事を読み込んでいます。