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人生のテーマは「自己表現の追及」

京都に生まれ、家庭の都合により小・中学校をニューヨークで過ごした小柳津さん。帰国後はPL学園に入学。個性や自由を尊重するニューヨークの空気とは対照的な寮生活にカルチャーショックを受けたというが、大学で飛び込んだ演劇の世界ではのびのびと自分を表現できる感動があった。
小柳津林太郎さん
「英語演劇というジャンルをやっていたのですが、そこには個性的であれ、という世界が広がっていて夢中になりました。会社務めするかこのまま演劇の道に進むか、本気で悩んだ時期もありましたね」。
サイバーエージェント入社に至ったのは、代表である藤田 晋氏の「仕事を通じて組織や社会に自己表現すればいい」という言葉が響いたからだった。演劇の世界を離れたうえでも、生き方や働き方を通した「自己表現の追及」は、小柳津さんの人生のテーマとなった。
入社3年目で子会社の社長に任命されるなど会社からの信頼は厚く、小柳津さんが責任ある役職と多くの部下を抱えるまでに時間はかからなかった。
転機となったのは35歳のとき。友人から「バチェラーに出てみないか?」と声をかけられたのがキッカケだ。軽い気持ちでオーディションを受けたが、過去の恋愛の話、資産額、語学力と想像以上に審査は入念なものだった。それでもバチェラーの話を聞くうちに、徐々に湧き上がる好奇心は抑えられなくなった。
「じつは1stシーズンを観ていなかったし、最初は『僕が出るなんて……』とピンとこなかったんです。でも実際に話を聞いて番組も観てみると、僕の中の自分自身を表現していきたいという思いにも重なるし、恋愛や結婚というテーマについても真剣に考えるいいチャンスだと感じるようになりました」。
しかし、いざ出演となると問題があった。3カ月の撮影期間中、出社はもちろん、まったく仕事ができないという点だ。
「3カ月会社休めます?と聞かれてすごく悩みました。責任者だし、部下も大勢いるし……。でも、新卒から約144カ月のあいだ会社のために働いてきたわけで、そのなかの3カ月ぐらいならいいんじゃないか、と。なによりも迷っている時点でそれは『やりたい』ってことなんですよね(笑)。こんなチャンス、もう来ることはないと思いましたし」。
葛藤の末、小柳津さんは3カ月のバケーションをとるとともに、公開型婚活『バチェラー』に参戦することを決意した。
「下手に『仕事に活きるかもしれない』とかは考えず、ただただ自分のために出演することに決めました。とにかく、真剣に目の前の女性と向き合うことに一心不乱になることにしましたね」。


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